ライフ・オブ・パイ専用ザク格納庫

映画ライフオブパイの超長編ネタバレ/その他映画のレビュー/あと気がむいたときに羽生くんを応援

ライフ・オブ・パイ

.
●オープニング・テンプレ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
.
.
このブログは映画『ライフ・オブ・パイ』の、激ネタバレ レビューです。
映画をまだ観ていない方はご遠慮ください。
.
すでに作品を鑑賞済みの方は、「記事の一覧」から、
2013年10月30日 → 10月31日 → 11月01日 → 2014年01月25日 → 4月〜 の順にお進みください。
.

.
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
.
.
.
.
.
.
【父と子の描写】.
ナレーションでは「愛する父」とか「やり手の実業家だった父は」とか、パイが父に深い敬愛の念を抱いていた様子がうかがえます…
が、
語っているのは中年のパイ。
漂流から生還し、自分も父親になり、サントッシュの立場を理解できるようになったあとのパイなんです。
幼少の頃から、パイがお父さんダイスキーだったわけではない。
山岡士郎海原雄山みたいな、あからさまな対立ではないにしろ、コドモの頃のパイは「父さんは僕が大事だと思うことをことごとく否定する」と不満をくすぶらせていたと思います。
アーユッシュ・タンドン君の演じ方(つか、アン・リー監督の演技指導)には、はっきりそれが現れているのですが、私ははじめのうちはナレーションに惑わされて気付きませんでした。
少年パイが父を見る きっっつい眼差しも単にインド人特有の目力かと見過ごしていたんです。
.
一つの宗教に決めろ、宗教ではなく理性で物事を考えろという父に対して「負けるもんか」と目が挑んでいる。
なにより、父譲りの“虎”の性質ですから、誰の言いなりにもならない。
活発な兄ラヴィが、「父さんの言いつけを守らないと叱られるぞ」と受動(従順)のスタンスを取るのと対照的に、パイは内向的でもあくまで自分ルールを貫く子です。
.
パイは年齢の割に賢いので、自分の考え&判断で行動しても致命的なミスはほとんどなかったが、虎の檻の前での件では父に粉砕される。
思春期時代の反抗期の敗北。
.
高校生になって、以前のようなコドモじみた反抗は卒業したが、今度は初恋のアーナンディと引き裂かれてしまう。青春期の敗北。
.
初恋を引き裂かれた傷心を軽視するつもりはない。私にだって10代の頃はあったし(遠い目)、片思いとか両思いとかのワードは魔法の響きを持っていた。
.
ただ、あの時代のインドは混迷に突き進む一方で、のんきに初恋に浸っている場合じゃなかったんですよ。
そういう視点で、カナダ移住を決定する食卓のシーンを見直すと、ああ、やっぱりパイは末っ子で、事態の深刻さがわかってないなぁと。
父母兄の表情と、パイの「アーナンディ〜(はぁと)」な表情の対比。
駄々こねたってどうにもならない人生の苦渋をパイはまだ知らない。
.
.
甲板のシーンではパイはこの世の終わりみたいな顔で、お父さんが呼んでもお母さんが呼んでもずいずいずっころばしで俵のネズミがコネチカット州です。
食堂での喧嘩のシーンのあと、早くも移住の先ゆきに対して暗雲が垂れ込めドヨヨ〜ンです。
それでも、見知らぬ船員さんの親切には社交的な笑顔を返すことができたのに、その後の船倉でのシーンでは、父の慰めに対してあの仏頂面ですよ。どう思いまして奥さん
.
パイにしてみれば、父さんがことを荒立てたから場の空気が悪くなったという印象だったかも知れないけど、コックの「カレーを食う奴(カレー・イーター)」という発言はインド人差別の言葉なので、愛想笑いで済ますことのできない局面だったのです。
.
「心配するな」という楽観的な父の態度は、家族の不安を払拭するための朗らかさなのですが、パイには父が事態の深刻さを軽視しているように思えたに違いなく、「マニラに着いたら新鮮な食材が手に入る」という父のセリフはまるっと無視。目線も合わせない。
代わりに口をついて出たのは「動物達に鎮静剤を与えるのか?」という非難の言葉です。
.
どんだけ感情こじらせてんだよパイ。
.
それにこのシーン、脚の不自由なお父さんがエッチラオッチラ慣れない肉体労働してるのに、パイはただ座ってバナナ食ってるだけなんですよ。こらパイ! なにをやっとるんだキミは! お父さんを手伝わんかコラ!
.
って、1回目見たときは主人公に感情移入して、主人公は正義、主人公を悲しませたり怒らせたりする奴はヤな奴って目線で見てしまいますが、何度も見直すと主人公の至らない点、間違った態度などが見えてくる。
.
※あと、原作小説では、映画よりずっと多くのページを裂いて、人間と動物のかかわりあいについて色々なケースが描写されています。
考えなしに、オランウータンを子供のうちだけかわいがって、成獣になると持て余して捨ててしまう人達とか。
オレンジジュースもそんな経緯で動物園に引き取られたオランなんだそうだ。
.
.
動物を飼育する現場で、実際に手を汚して世話をする当事者の苦労も知らず、テキトーなきれいごとの非難を浴びせる偽善的な動物愛護の人々。(ごく一部の人達だと信じたいが)
.
.
この場面ではパイはまさしく、そういう役回りに描写されています。
「動物が船酔いで吐いたら僕が掃除するよ!」と なぜ言わんのだパイ。
.
(ところで長男はこのとき何処で何をやっとったんかね。まったくパテル家の息子たちときたら)
.
.
.
.
で、この船倉のシーンで一区切り。
.
父を手伝いもせず反感をつのらせていた高校生のパイから、一転して、父に深い感謝と共感を覚える中年パイに切り替わります。
.
>インドを離れるのは私よりも父の方が辛かっただろう
.
生活が激変するのはサントッシュの方なのです。
作中、「ウィニペグに仕事のあてがある」というセリフだけで、どんな仕事かは全く情報が無い。推察の手がかりも無い。
昔からの知り合いが共同経営者の待遇で招いてくれている、みたいな話ならまだいいけれど、ずっとオーナーだった人が、一介の従業員で再スタートというのはとてつもなく辛いことです。
デスクワークならまだしも、工場作業員だったりするとなおさらです。
脚が不自由だから、自分のペースで仕事を進められるように、努力してオーナーとしての人生をスタートさせたわけで、雇われ使われる立場だと、動きがのろいことをとやかく言われたり、さらにインド人に対する差別もあるだろうし。
若いうちなら将来に希望を持って下積みに耐えることも出来ようけれど、人生下り坂の中年で、体力は衰える一方だし腰痛とか老眼とか50肩とか えーとそれから…etc.
.
10代20代には想像もつかないほど辛いことなんですよ(力説)
これまでのキャリアを全否定されて、ロクに教育も受けていない粗野な白人から見下される日々が待っているとしても、それでも息子たちの将来のために、自分が屈辱に耐える選択をした。
.
.
このベンチのシーンで、中年パイはしばし放心したように黙り込み、ライターに続きを促されて、
.

>何か言い忘れたか?(字幕)

と言うのですが、実際のところ、中年パイが語りたいすべては、このベンチのシーンまでで語り尽くされているのです。
父に対する言葉に尽くせぬ感謝。若すぎて自分の気持ちだけで手いっぱいで、父を思いやる余裕もなかった反省と謝罪。
.
パイにとって、あの船倉のシーンがとても重要なのは、あれが生前の父についてありのままを語れる最後の場面だからです。
.
その先は、父との約束を守るため、生涯、誰にも語ることができない。
サントッシュ・パテルは嵐の晩に熟睡していて、船からの脱出もかなわず、マリアナ海溝に眠っていることになっている。
.
アン・リー監督がスラージ・シャルマとイルファン・カーンに要求したのは“生涯誰にも打ち明けられない秘密を持ってしまった男”の演技。
.
特に中年パイは、我が子にサントッシュお祖父ちゃんがどんなに強くて愛情深い人だったか話して聞かせることができない。父の親友のフランシス(=ママジ)にサントッシュの最期を伝えることができないんです。
.
.
パイが『虎の話』を創作したのは、保身の嘘でも現実逃避のまやかしでもない。
真実をありのままに語れないのが苦しいからです。
.
.
.
『虎の話』には父の相棒になった日々と父への感謝が託されていて、『コックの話』には父を理解できず、恐ろしい怪物のように思っていた時期の反感が反映されている。
「どっちがいい話だ?」と問われて、聞き手が(真相に気付かないまでも)、漠然と「虎のほうがいい話だ」と答えてくれれば、それでちょっとだけパイは救われるんだと思います。
.
.
続く
.

.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.