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映画ライフオブパイの超長編ネタバレ/その他映画のレビュー/あと気がむいたときに羽生くんを応援

春なのに

中止です。最悪の事態を回避したことに一抹の安堵を感ずるしかないのでしょうか。
世選の中止を喜ぶ気は毛頭ありませんが、こればっかりは根拠のない楽観で見切り発車するわけにはいかない。羽生くんが無事に世界最高得点で優勝しても、開催後に一人でも感染者が出たら喜べない。
これから先どうなっちゃうの? 4月5月のアイスショーは? 春先~初夏のスポーツイベントは? オリンピックは? 夏コミは? 年末のことしの漢字は? 中止の「止」? 「疫」?

早くワクチンできないかな。ジブリブランドの風の谷のガスマスク(腐海でもへっちゃら)とか。

ヴィスコンティの鏡使い  

【鏡の奥へ】
時系列でいきます。
物語に激震が走るのは、希代の毒母ソフィーのあくどさとその被害児マーチンが逆襲に走るくだりですが、ずっと以前の初期微動を見逃してはいけない。

オープニング、誕生パーティーにむかうため私室で身支度を整えた家長のヨアヒム老は戦死した息子(マーチンの父)の遺影にキスして、部屋をあとにし、パーティー会場にむかう。このとき、鏡写しでヨアヒム老の背中から追うように撮るカメラワークで、彼が鏡の奥へ入り込んで行くようにみえませんか?
このシーンは、単に目先を変えたギミックではないんです。
部屋の外に出るOUTの移動ではなくて鏡(虚構)の奥深くへと入り込むINのシーンなんです。
これによってヨアヒム老は、単なる家庭崩壊劇の登場人物からドイツの良識ある支配階級の象徴となるわけです。
つまりエッセンベック男爵一族の崩壊をワイマールドイツの滅亡になぞらえて描いてある。
この「ナントカカントカの象徴」という言い方に反発を覚える人も少なくないと思います。わざと話をややこしくこねくりまわさして、他人と違うこと言う自分カコイーみたいな半可通がよくやります。
なんだけど実際そう考えないと説明がつかない場面があるので、象徴とかメタファとかゆってもそっぽ向かないで。

パーティーのあと、マーチンは少女たちとかくれんぼ。上の子(チルデ)の姿が見えないので、家庭教師のおばさんが館の中を探してまわる。そのとき、館中に大きな悲鳴がひびきわたり、ベッドの中のヨアヒム老が驚いて目を覚ます。その後、なんだったんだ今のは? みたいにまた寝入ってしまう。
これはアレです。日本の漫画好きなら誰でも知ってるこのセリフ、「お前は既に死んでいる」


【お前は既に死んでいる】

あの悲鳴は、ヨアヒム老の射殺死体を発見した家庭教師のおばさんの悲鳴です。解説本によっては、マーチンにレイプされたチルデの悲鳴などと書いてあるのもありますが、違います。声が違う声が。
発見された死体のヨアヒム老が、悲鳴に驚いて起き上がるのはおかしいのですが、パーティーの最中、「国会議事堂が放火された」と第一報が告げられたこととリンクしています。
国会議事堂が放火されたっていうのは、健全な民主国家が息の根を止められたに等しい。劇場やデパートが燃やされたのとは訳が違う。けど当時のベルリンっ子たちはその重みに気付かず、壮麗で大がかりな建物が焼かれたとしか思わない。火事見物のあと、ベッドに入って寝入ってしまう。そのことをヨアヒム老の死体の起き上がりでメタファとして表現しているのです。
こういうシーンが用意されているから、伏線として、ヨアヒム老は鏡の奥深くへはいりこみ、虚構世界の住人となる。
ここで気をつけなくてはならないのは、鏡だからってなんでかんで深読みして小難しいこと言わんでもいいんですよってことです。
エリザベートとヘルベルト夫妻も自室で身支度中ですが、パーティーのためのドレスアップの場面では鏡はあって当たり前。なかったらかえって不自然です。こういうのは深読みの対象外。無理して難しいこと言おうとして、虚栄心の象徴だ、などと言ったらいい笑い者です。
ヨアヒム老のシーンも、身なりをととのえているところまでは鏡はただの鏡。インテリアの一部。ただ自室からパーティー会場に向かうシーンは特に鏡写しでなくても成立する。廊下にカメラを据えてドアから出てくるところを正面から撮ってもいいし、部屋を出ていく後ろ姿を普通に背後から追っかけて撮るやり方もある。なぜ鏡写しにしたのか?似たような効果をあげる方法がABCと三通りあって、そのなかのAではなく、Bでもなく、なぜCの方法をえらんだのか。ここが思案のしどころなのですよ。答えはちゃんとある。ヴィスコンティはとても人間技とは思えないほど緻密に構成して正確に表現する。そのときの気分で適当にカンセーで誤魔化したりしないので、きっちり考えていけば、数式を解くみたく答えは見つかる。
続く

こそっと小さな声で、、「やったぁ」

やっとログインできました。世間様にとってはどうでもいいことことかもしれませんが、私にとっては大きな一歩なのでございます。一歩、それが見えたら終わり、なんつって。
いえね、夏中だじゃれとか遊び呆けていたわけではなくて、コツコツ書き貯めてUPを急いでいたのですよ。それがある日なんの前触れもなく、やっと機種変したスマホ様(初号機)が御亡くなりになってしまったのです。
一切、起動不可能になり、全ては闇の彼方に。相当量書き進んだ『地獄に墜ちた勇者ども』の項も、また一から書き直しです。バックアップとってなかった私が悪いんだけどさー、なんかもーむなしくって力も意欲も湧かないわーとふらついて、心の慰めに羽生くん目当てに24時間テレビをみて、で被災した方々はもっと深刻なんだと反省しました。
んで、今回の台風1,9号も開店したはかりのおみせが土砂まみれの被災者の方とか泣くに泣けないけど泣いてる場合じゃないレポートがたくさんニュースでも紹介されてて、それに比べたら落ち込んでる場合じゃないなと。

書く順番は当初よりごそっと変わりますが、立ち直って『地獄に墜ちた勇者ども』の続きを書きます。ブログの読者諸士が興味あるのはジュラシックワールド関連のとこだけだと思うんだけど、私にとっては思い入れが深い作品で20年越しです。映画って、みたまんまの絵物語じゃなくて、二重三重に意味合いを重ねて作ってある、こういう作品もあるんだ、と目からウロコがぼろぼろ、まさに蒙をひらくとはこのことかと思いました。
ライフオブパイについて気付くことができたのも、ヴィスコンティで予習していたからです。
なので、次回は、
ヴィスコンティの鏡使い】から

JW2炎の王国→『地獄に墜ちた勇者ども』

【貴族の食卓】
 
『JW2 炎の王国』のオープニングのロゴと『地獄…』のイントロがリンクしています。

『地獄に墜ちた勇者ども』はドイツの鉄鋼財閥エッセンべック男爵家が舞台。

鉄鋼財閥ってことで映画の幕開けはどろどろに溶けた溶鉱炉の映像、それが冷えて 鍛えられ、貴族の食卓を飾る美しい銀器、白磁、ガラス器に変貌を遂げる。
今日は当主ヨアヒム・エッセンベック男爵の誕生祝い。会食の準備で使用人達はあわただしい。というところから始まる。 
 
十九世のイギリスの批評家マシュー・アーノルドによれば、
貴族は「バーバリアン」、大衆は「ポピュレス」、資本家や商人を「フィリスティン(古代パレスティナ人の意。善悪度外視で利益のみを追及し死の商人となった。蔑称として「俗物」。) 」
西洋における貴族とは、もともとは剣をふるい血を流してでも欲しいものを手に入れてきた、そういう種族から生き残った流れ。時代が下って、流血沙汰にもつれるのを避けて、華美な衣服や経済力で下位のものとの差をしめすようになる。

『山猫』では、バーバリアンの面影が鳴りをひそめ、欲望の強さより、謹み深さが上品で貴族的な態度となってしまった。

そこんとこをおさらいするように、『地獄に墜ちた勇者ども』では灼熱のマグマが冷却のときを経て貴族的な美しい価値あるものに変貌するさまが冒頭でえがかれる。

『JW2 炎の王国』の「炎」は単に火山の噴火という自然現象だけではなくて、「 欲望」を意味する。 地球の中の、熱、力、それらがすべて冷えて固まったときは、地球は何も産み出さない死の星になる。
火山の噴火という自然現象だけを近視眼的に見れば、命を奪う厄災に映るが、地球誕生以来のスケールでとらえると、命の源と言えよう。

ヴィスコンティは『地獄に墜ちた勇者ども』の冒頭で、煮えたぎる欲望のエネルギーが-、冷えて固まる年月も待たずに、鍛えられ磨かれることもなく、コントロールを失って世界に溢れだした結果を示唆している。

ジュラシックワールド2 炎の王国』では、欲望につき動かされ、制御不能で外に暴れ出した炎の産物が、これからどうなるのかな、というところで「続く」となるのですよ。

だから、恐竜とは遠く離れてしまうけれど、『地獄に墜ちた勇者ども』に言及します。

おのれ~バヨナめぇぇぇよくもこんなめんどくさい謎解きだらけの映画をベースにしやがつて私になんか怨みでもあるのか~~~


JW2がちっとも終わらないので、パイレビューの続きに取りかかれない、ごめんよ、レイフ・スポール。ミルズは憎たらしかった。化けるタイプの役者さんだったのね~

マシュー・アーノルド云々はこの本から

イギリス人の表と裏 (NHKブックス)

イギリス人の表と裏 (NHKブックス)



続く

Jw2→ヴィスコンティつながりで『山猫』

【山猫】

とりあえず『山猫』から。
イタリアのサリーナ公爵家が舞台。
サリーナ家の紋章がLeopard(山猫)。
主人公の公爵を演じるのはバート・ランカスター
いいガタイしてるんですわ これが。
大貴族で 、もう中年だから、配下の者を顎で使って、自分は何もせんで、デブデブでダブンダブンになっててもおかしくないのに、戦国武将みたいな鍛え上げた体。あの時代の貴族(武将)ってどんな風にトレーニングしてたのかな。青年将校の頃なら教練があるだろうけど、誰に言われなくても、剣の稽古が日課になってんのかしら。

時代背景は、幕末~明治維新みたいな“色々あった”時代。
日本でゆうたら、大政奉還とか、廃藩置県とか、内戦、内紛、etc.
それを大貴族の立場からとらえた。

監督のルキノ・ヴィスコンティはミラノの大公爵ヴィスコンティ家の出身で(長男ではないので爵位は継いでい無い)、ルキノ・ヴィスコンティだから描けた本物の貴族文化と言われる。

ぶっちゃけ、ヴィスコンティにとっては、あれが“ぼくんち”というわけだ。

詳しくは、Wikipediaや、著名評論家の著作をご参照あれ。民間でできることは民間で、WikipediaでできることはWikipediaで。

サリーナ公爵家は架空の設定だが、サリーナさんちでは街の人々と連れだって教会へ出かけたりしないのだ。
お城に礼拝所があって、日曜日には専任の神父がやって来る。
そういう“ぼくんち


さておき。


大きな政治的変動とは別件だが、日曜の夜、公爵は、馬車で神父を街に送りがてら、馴染みの娼婦に会いにゆく。
神父は立場上、「罪深いことはおやめください」と説教をはじめるが、公爵は断固として、妻への不満をぶちまける。
「私は身体頑健な現役の男だ。ベッドに入る前に十字を切り、絶頂のときはマリア様と叫ぶ。そんな女で我慢できるか!
私は!
女房の!
へそを見たこともないんだぞ!!!
それでも我慢して七人も子供をつくった…」

なんかもー、血を吐くような魂の叫びですなあ。

こう言われては神父も返す言葉もなく、
「………お察しいたします…………」

娼館に到着すると、豊満な女性か「ああ、私の公爵様!」熱烈歓迎。


さておき。


サリーナ公爵家では夏の恒例として避暑地の別荘に出かける。政情不安だからと止める者もいたが、泰然自若、世間の騒乱に動じず、公爵家は避暑地へ。

大大名の参勤交代みたいなものかのう。


で、公爵には お気に入りの甥がいる。タンクレディ(アラン・ドロン)

公爵の娘(の1人:長女)コンチェッタは、タンクレディに想いを寄せている。公爵夫人もこの縁組みを早くまとめてほしいと夫にせっつくが公爵は乗り気ではない。

避暑地に到着すると、村長のドン・カロジェロが挨拶に出迎える。  
この夏も世話になるけどよろしく頼むよと、公爵は村の主だった者を招いて会食。
その席で村長の娘:アンジェリカとタンクレディが恋に落ちる。 アンジェリカの気を引こうとタンクレディが下ネタをかますと、アンジェリカは大爆笑。
コンチェッタや公爵夫人達は眉をひそめ、んまあ おはしたない みたいな。

ジュラシック・ワールド2 炎の王国』のクレアの爆笑とリンクしてるのはここです。

このシーンはヴィスコンティ監督の“押し” のシーンのひとつでもあるようで、『山猫』の公開前の予告フィルムにも使われている。

先の公爵夫人のベッドマナーの話と相まって、下ネタに対する上流婦人と平民女性の対比。コンチェッタも へそ見せてくれなさそうだもんな。

公爵がタンクレディとコンチェッタのカップリングに乗り気ではなかったのは、娘が内気で控え目で、才気煥発なタンクレディの伴侶が務まるかどうか、という心配と、野心家のタンクレディが出世するには金がいる、公爵家の財産は子供達で七等分せねばならないから、それではタンクレディに十分な援助ができない、という財の話。
アンジェリカの父親カロジェロは村長(平民)だが大変な資産家である。「村長さんは村一番のお金持ち」とかいうほのぼのしたレベルではない。いわゆる “新興ブルジョア”。
抜け目ない土地取引で、あたり一帯の土地と収穫農産物を一手に治め…云々
公爵がタンクレディの後ろだてとなって縁談を進め、カロジェロは莫大な持参金を申し出る。

で 、二人の縁談はトントン拍子。

ちなみに小学生のころの私は、「英語で貴族のことブルジョアって言うんでしょ?」 という認識だった。どのみち縁がない世界だし。
だが、上には上が際限なくあって、小金持ちは中金持ちをうらやみ、中金持ちは大金持ちを妬み、大金持ちは貴族との越えられない壁に歯噛みする。
そういう世界。
だった。のが。

ベルバラのアンドレの懊悩を思うとまったくイイ時代になったもんじゃ のう婆さんや。
貴族と平民の越えられない壁だつたもんが、越えられちゃうんですよ。
サリーナ公爵の生涯を縦糸に種々の出来事を横糸に、政治的転換期のあれこれが海面の大波小波だとすると、タンクレディとアンジェリカの結婚は満潮干潮のような歴史の大きなうねり。公爵は急に老いを感じ、台頭してきたブルジョアジーのエネルギーを取り入れる必要を痛感する。
あまりにも上品に洗練された貴族の枠の中で繰り返される婚姻に、公爵が苦言を呈する場面も。これもヴィスコンティだから描けた台詞だろうな。平民の映像作家だと貴族を妬んでの誹謗中傷だと取られかねないもの。

貴族とブルジョアジーの婚姻というところが『地獄へ墜ちた勇者ども』とリンクしてるわけですが、ただし順接ではなく逆接。

続く



『山猫』は、直接JW2には関係無いんだけど、『地獄…』を語る上で外せないので、ずいぶん長くなっちゃった。クレアの大爆笑はヴィスコンティつながりを強調するためだろうけど、