ライフ・オブ・パイ専用ザク格納庫

映画ライフオブパイの超長編ネタバレ/その他映画のレビュー/あと気がむいたときに羽生くんを応援

ヴィスコンティの鏡使い  

【鏡の奥へ】
時系列でいきます。
物語に激震が走るのは、希代の毒母ソフィーのあくどさとその被害児マーチンが逆襲に走るくだりですが、ずっと以前の初期微動を見逃してはいけない。

オープニング、誕生パーティーにむかうため私室で身支度を整えた家長のヨアヒム老は戦死した息子(マーチンの父)の遺影にキスして、部屋をあとにし、パーティー会場にむかう。このとき、鏡写しでヨアヒム老の背中から追うように撮るカメラワークで、彼が鏡の奥へ入り込んで行くようにみえませんか?
このシーンは、単に目先を変えたギミックではないんです。
部屋の外に出るOUTの移動ではなくて鏡(虚構)の奥深くへと入り込むINのシーンなんです。
これによってヨアヒム老は、単なる家庭崩壊劇の登場人物からドイツの良識ある支配階級の象徴となるわけです。
つまりエッセンベック男爵一族の崩壊をワイマールドイツの滅亡になぞらえて描いてある。
この「ナントカカントカの象徴」という言い方に反発を覚える人も少なくないと思います。わざと話をややこしくこねくりまわさして、他人と違うこと言う自分カコイーみたいな半可通がよくやります。
なんだけど実際そう考えないと説明がつかない場面があるので、象徴とかメタファとかゆってもそっぽ向かないで。

パーティーのあと、マーチンは少女たちとかくれんぼ。上の子(チルデ)の姿が見えないので、家庭教師のおばさんが館の中を探してまわる。そのとき、館中に大きな悲鳴がひびきわたり、ベッドの中のヨアヒム老が驚いて目を覚ます。その後、なんだったんだ今のは? みたいにまた寝入ってしまう。
これはアレです。日本の漫画好きなら誰でも知ってるこのセリフ、「お前は既に死んでいる」


【お前は既に死んでいる】

あの悲鳴は、ヨアヒム老の射殺死体を発見した家庭教師のおばさんの悲鳴です。解説本によっては、マーチンにレイプされたチルデの悲鳴などと書いてあるのもありますが、違います。声が違う声が。
発見された死体のヨアヒム老が、悲鳴に驚いて起き上がるのはおかしいのですが、パーティーの最中、「国会議事堂が放火された」と第一報が告げられたこととリンクしています。
国会議事堂が放火されたっていうのは、健全な民主国家が息の根を止められたに等しい。劇場やデパートが燃やされたのとは訳が違う。けど当時のベルリンっ子たちはその重みに気付かず、壮麗で大がかりな建物が焼かれたとしか思わない。火事見物のあと、ベッドに入って寝入ってしまう。そのことをヨアヒム老の死体の起き上がりでメタファとして表現しているのです。
こういうシーンが用意されているから、伏線として、ヨアヒム老は鏡の奥深くへはいりこみ、虚構世界の住人となる。
ここで気をつけなくてはならないのは、鏡だからってなんでかんで深読みして小難しいこと言わんでもいいんですよってことです。
エリザベートとヘルベルト夫妻も自室で身支度中ですが、パーティーのためのドレスアップの場面では鏡はあって当たり前。なかったらかえって不自然です。こういうのは深読みの対象外。無理して難しいこと言おうとして、虚栄心の象徴だ、などと言ったらいい笑い者です。
ヨアヒム老のシーンも、身なりをととのえているところまでは鏡はただの鏡。インテリアの一部。ただ自室からパーティー会場に向かうシーンは特に鏡写しでなくても成立する。廊下にカメラを据えてドアから出てくるところを正面から撮ってもいいし、部屋を出ていく後ろ姿を普通に背後から追っかけて撮るやり方もある。なぜ鏡写しにしたのか?似たような効果をあげる方法がABCと三通りあって、そのなかのAではなく、Bでもなく、なぜCの方法をえらんだのか。ここが思案のしどころなのですよ。答えはちゃんとある。ヴィスコンティはとても人間技とは思えないほど緻密に構成して正確に表現する。そのときの気分で適当にカンセーで誤魔化したりしないので、きっちり考えていけば、数式を解くみたく答えは見つかる。
続く