ライフ・オブ・パイ専用ザク格納庫

映画ライフオブパイの超長編ネタバレ/その他映画のレビュー/あと気がむいたときに羽生くんを応援

ライフ・オブ・パイ

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このブログは映画『ライフ・オブ・パイ』の、激ネタバレ レビューです。
映画をまだ観ていない方はご遠慮ください。
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すでに作品を鑑賞済みの方は、
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↓スタート
2013年10月30日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20131030
2013年10月31日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20131031
2013年11月01日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20131101
2014年01月25日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20140125

…以下、カレンダーか記事の一覧から
2014年4月〜 の順にお進みください。.
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【神の話 Part1】
幼少のパイは、息子(イエス)を犠牲にして助けようともしなかった“父なる神”をひどい父親だと思っていた。
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聖書のエピソードを子供向けに擬化→登場物イエスと“神”は別 という認識。
父の犠牲になったイエスにパイは息子同士の共感を覚えていたんです。
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で、サントッシュ(父)とパイ(子)の漂流に、虎(目に見えない能動性の象徴としての虎)が介在する構図。これはキリスト教の『三位一体説』です。
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アチラの映画によく出てくる「父と子と精霊の御名において、アーメン」 というやつ。

三位一体説(325年 ニケーア公会議:詳細はWikipediaとかで各自よろ)というのは、4世紀当時、まだキリスト教に教化されていないヨーロッパ辺境を宗教で征服していくために、「あなた方が信仰している自然の神々(精霊)は、我々キリスト教徒が崇めるGODと同じものなのです」とだまくらかして布教した。政治的な胡散臭い側面もあるものの、
一方で、擬化された“神”をもう一度、抽象的な概念としてとらえ、宗教を形而上学的高みに復権させたという功績もある。
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子供向けの人格神の捉えかただと、異なる三者が一体ってのは禅問答のようでわけがわからんです。
発想を転換して、神とイエス・キリストと精霊の共通項を探さないと。弁証法的に。
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でも、誰もが形而上学にシフトできるとは限らないし、版図広大な社会において、幼い頃から共通の社会道徳を身につけさせようとする場合、人格神の物語で言い聞かせる方法には捨てがたいメリットがある。
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結局、庶民教育用に人格神の捉え方を保持したまま、高位の学僧達は三位一体を唱えるので、分かりやすい説明は不可能。
「理解できなくてもいいから信じろ」ということになる。
分数の割り算で、「とにかくひっくり返して掛ければ正解になるから、難しく考えなくていいから!」って教え方と似てますな。
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旧約聖書(=ユダヤ聖典)には喩えでかかれていることがたくさんあって、(つか喩えだらけですがな)
何千年来、喩えから真意を読みとれる者と、教条主義的・アスペ的なうわべしか読みとれない者のせめぎ合いです。(ほんで残念ながら後者のほうが数が多い)
約二千年前、イエス・キリストが処刑されるときにも「どうした? お前の父ちゃんは助けにこねぇじゃねーかよ」とかヤジが飛んだというエピソードもある。“神”や“救い”という概念をわかりやすい喩えで擬人化したがゆえの弊害。
幼な子にも分かりやすいように、という思いやりが、大人になっても精神年齢ガキのままの凶暴な大衆をのさばらせる結果になってしまう。
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一般的に、親は子供を慈しんで育てるものらしいので、親が子に注ぐ愛情をどんどん延長拡大した行き着く先に、父なる神の無限の愛があるのだ、という喩えは分かりやすいかも知れません。まともな親を持った多数派にとっては。
けど、親子を上下関係・力関係でしか捕らえられない毒親ってのもおりますし、親の愛を知らないまま育ってしまうケースもある。
そういう特殊なケースには、親の愛の喩えが通用しなくなるんです。
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モンゴメリの短編にありました、そーゆーの。
臨終の娼婦が罪の意識に怯えているので、善良な牧師が「神はすべて赦してくださる。神は父のように我々を愛してくださるのだ」と諭すが、とたんに「私の父のようにだって!?」とゲラゲラ笑い出すシーン。
父に背いたため家を追い出され、転落の一途をたどる羽目になった彼女には「父なる神の愛」なんて お笑い草でしかないのだった。

※父の愛 という喩えで救われなかった彼女が、いかにして魂の安らぎを得たかは→新潮文庫 モンゴメリ著『アンの友達』収録の「めいめい自分の言葉で」
赤毛のアン・シリーズのスピン・オフ短編集です。本編よりは少女趣味的装飾が少ないので、男子でも読める、と思う………たぶん………………我慢すれば…
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脱線スマソ
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要は、抽象的概念というのはわかりにくいので、わかりやすく説明しようと身近な具体例に例える。が、具象性が増すと逆に汎用性が損なわれる場合があるってことです。
抽象的な説明ってのは、変数χを含む方程式のようなもので、ケースバイケースでχに実数を代入して広範な対応ができる。が、それが理解できるようになるには、ある程度知性の成熟を待たねばならない。
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この、「具象性が増すと汎用性が損なわれる」というのは、このあとの【神の話 Part2】でも出てきますので、おぼえといてくだされ。表現全般にも関わることだ。
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ほんで、我らがピシン・モリトール・パテルは、当初は父と折り合いが悪く、父の愛にも判断力にも疑念を抱いていた。
実際はサントッシュの判断はいつも的確で、パイが100のダメージを食らうところを、なんとか父のおかげで30のダメージですんだ、というケースが幾多あったわけです。
虎に餌をやろうとしたときも、移住も沈没時も漂流中も。
でもパイの主観では父のせいで30ものダメージを被った、と反発をつのらせていった。
幼い息子に、虎が仔山羊を食い殺すところを見せつけるなんて、その部分だけ抜き出せば、ひどい虐待に思われる。けど、パイのあの性格では、ほっといたらきっとまた「虎と友達になりたい」って檻にもぐり込みかねないもの。あの場合はやっぱサントッシュが正しいわ。
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ちなみに原作は全然違います。ある日突然、父さんが息子達を虎の檻の前につれてって、「虎は危険な動物だ!」と、仔山羊を食い殺すところを見せる。原作パイはこまっしゃくれたガキで、
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>たしかに、頭のなかでは、動物に言葉をしゃべらせたり、人間のように振る舞わせたりしている。…中略…でも、それが想像にすぎないことはちゃんとわかっている。…中略…実際に動物を遊び仲間だと思い込んだりすることは絶対にない。あちこち鼻をつっ込みたがるからといって、それぐらいのことがわからないわけじゃない。下の息子がおそろしい肉食獣の檻にもぐり込みたくてうずうずしてるなんて、父さんはどこでそんなことを思いついたんだろう?
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って、父の取り越し苦労に反発しつつ、心の中で「心配性の父さん」なんてナメた態度でいる。
次男がゆうこときかん子なので非常手段にでた、映画の父子描写とはまるで違うんです。
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脱線ばっかでごめんごめん
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ほんで、親の愛?なにそれおいしいの?的な反抗期まっさかりの時期に、なにがムカつくって、「お前のためを思って」というおためごかしのセリフ。これほど不快なものはない。親の損得や世間体で言ってるだけ、というケースも少なくないし。
ただ、パイの場合は、幸いなことにサントッシュやジータのような本物の親に恵まれ、漂流を通して父の愛を信じることができるようになって、虎の力(能動性)という共通項で結びつき、で、サントッシュはパイの血肉となりパイと共にある。
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サントッシュが命を捨てたとき、パイの魂の一部も死んでしまったが、パイが生き延びたがゆえ、サントッシュもパイの一部として甦った。
理解するとか、信じなくちゃ、とかじゃなくて、パイにとっては三位一体は実体験の事実なんです。
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現実の神学校における『三位一体説』の定義とは異なるかもしれないけど、アン・リー監督が描いた“父と子と精霊”はサントッシュとパイとリチャード・パーカー。
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これは漂流中の真相を解いた上ではじめて言えることなので、映画観た直後にはわからなくて当然だけど、
ただ、中年パイは大学で「カバラ神秘学を教えている」というセリフもあるので、いずれにしても、とっくに三位一体説は自家籠中のものにしているはずなんです。
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が、ライターにキリストとの出会いを回想して話すシーンでは
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「それってどんな愛だ?」
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って言ってます。
え? いまだに三位一体説や父なる神の愛に疑念が?
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いえいえ、これは中年パイのセリフではないんです。
「あの当時の僕は、まさにそう思ったんだよ」って、中年パイが、三位一体を理解できなかった少年の頃のパイを演じている、プチ劇中劇です。

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つづく
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