ライフ・オブ・パイ専用ザク格納庫

映画ライフオブパイの超長編ネタバレ/その他映画のレビュー/あと気がむいたときに羽生くんを応援

ライフ・オブ・パイ

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●オープニング・テンプレ●●●●●●●●●●●●●●●●●●
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このブログは映画『ライフ・オブ・パイ』の、激ネタバレ レビューです。
映画をまだ観ていない方はご遠慮ください。
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すでに作品を鑑賞済みの方は、
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↓スタート
2013年10月30日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20131030
2013年10月31日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20131031
2013年11月01日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20131101
2014年01月25日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20140125

…以下、カレンダーか記事の一覧から
2014年4月〜 の順にお進みください。.
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“次回”が翌日とかw
たまにはこういう奇跡もおこる。
もう春だし。
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で、昨日の続きですが…
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【フィードバック】
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>あれはサントッシュの遺体にとりすがって泣いたときの泣き方なんです。
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↑これが間違いです。
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サントッシュの下した重大な決断とは、自分を食糧として我が子に提供するという自己犠牲の行為だと大ざっぱに見当をつけました。
仏教の逸話にも、我が身を僧侶に捧げようと焚き火に身を投じたウサギさんの話がありましたでしょ。
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自然死(いまわの際の遺言)という可能性も考えてみたけれど、我が子に確実に“食糧”を手渡そうと思ったらやっぱ自死じゃないかな。サントッシュなら自分の死に時は自分で決めると思うんです。無神論者だから自殺は罪だなどというシバリも無いと思うし。
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しかしだ、それだと残されたパイが父の遺体を捌いて食べることになるわけだが、はたしてそれができるか? という大きな問題がある。
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某匿名巨大掲示板ではおどろおどろの食人話で大はしゃぎのコドモさん達(←精神年齢の話をしています)が湧いてますけど、
(映画スレに2014/3/10付けでテキトーに当ブログのリンク貼られてエライ迷惑しとります。私は“兄と母の肉を…”なんて一言も書いちゃいねぇっっつーの!!!)
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死人を解体して喰らうという行為を甘く見てはいないか?
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コトバで言うほど簡単じゃないぜ。
魚や海亀を捌くのとはワケが違う。
人間の遺体だ。服を着てるんだ。
まず服を剥いでマッパにして、頸動脈と脚の付け根の大動脈を切って血抜きをする。喉元から臍下まで一文字に切り開いて、そっから手を突っ込んで内臓を掻き出す。肋骨をへし折るか叩き切るかして、肺や心臓も掻き出す。
その間ずっと首の上にはパイの為に命を捨てた父の安らかな死に顔がある。長い漂流の間に心通わせた相棒の顔だ。
父の顔が正視に耐えないとなれば、はじめに頭を落としておくしかないが、父の遺体に対してパイがそういう冒涜的なことができるかどうか。
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もし仮に、それが父の望みなのだと自分に言い聞かせて敢行したとしても、その後、たった一人で助かる当てもない漂流を続ける間に、パイは精神を病んでしまうのではないか。
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サントッシュの望みは、パイが生き延びて幸せになることなのだから、我が子を廃人に追い込むような試練を課したりはしないと思うんです。
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サントッシュは無神経にボートに死体を転がして逝ったりしなかった。
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漂流が順調だった頃、生きるために食うことの是非などを話し合ったついでに、
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あくまで
冗 談 め か し て、
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自分の麻痺した右脚を指し示して「この右脚は歩行の役に立たない。脚の形をしていても脚じゃない。人体の一部だと思わなくていいんだ」「いざとなったらこれを二人で食うか(笑)」などと言ったんじゃないかと思うんです。
その時点ではパイは悪趣味な冗談だと苦笑い。
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先見性のヒト:サントッシュがいよいよの時に下した決断とは、つまり、自分の…
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ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてイタイイタイイタイ
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………………………………つまりは、そういうことだと思うんです(泣)
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“サントッシュは脚が不自由”という映画のオリジナル設定が最大限に生かされているのがここですわ。
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あまりあからさまに言ってしまうと、実際に脚の麻痺というハンディを背負っている人々への差別にもつながりかねないし、グロ描写を長々続けるのも良識に反すると思うので、この程度の婉曲表現でどうかお察しいただきたいのだが、
(うわ〜ん、もうスーパーでもも肉切り落としとか気安く買われへん〜〜〜)
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虎は死して皮を残すと言うけれど、虎のヒトは文字通り身を削って捻出した食糧を残して、最後の力を振り絞ってボートから身を投げた。だからパイが目覚めた時にはもう、父の遺体は無くて、そのかわりに目にしたものは父の心尽くしの“食糧”。
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なので、昨日、勢いで書いてしまった一文を訂正します。
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×「あれはサントッシュの遺体にとりすがって泣いたときの泣き方なんです」
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  ↓
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◎「あれはサントッシュの“決断の結果”を知ったときの泣き方なんです」
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で、ここの部分、時間がZ型に逆流してるのね。スクラッチ奏法みたくギュカギュカギュカって何度も反復再生するほどの繰り返しじゃないけど、ギュカって1回だけ時間が逆流してる。
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スクリーン上では、
  嵐→浮島→メキシコ→虎との別離→救助
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実際の体験記では、
  嵐→“虎”との別離→浮島→メキシコ→救助 となります。
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記号化すると↓

嵐→A→B→C→救助
嵐→C→A→B→救助
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パイが“虎の人”との“さよならを言えない別れ”で心が破れて大泣きしたのは、漂着以前のはるか洋上です。
その後、人食い島=ビシュヌ神の姿の島 に象徴される出来事があって、その後メキシコに漂着する。
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浮島が遠目に女性の姿に見える≒母親? と勘違いして母を食ったなどと訳知り顔の妄想も飛び交っているようですが、女体島じゃないですよ。ビシュヌ様の姿をした島なんです。
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ビシュヌ神が登場するのは、パイが魚と格闘して殺すシーン。罪の意識から「ビシュヌ神が魚に姿を変えて僕らを救ってくれた」と懺悔と感謝をする、殺生のタブーを乗り越えた場面。
ビシュヌの島でパイはまたひとつタブーを乗り越えた。漂着したのは、横たわる島の“足もと”の部分。で、パイは食べましたね?
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父はパイの糧(かて)になった。
パイが『虎の話』を創作するにあたって、食う側であるはずの猫科の大型肉食獣に、漂流中に食われた犠牲者の名前をつけたのはそういうわけです。
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で、この映画を陰惨な人食い話に貶めようと必死なコドモさん(←精神年齢の話をしていますっ)がいるようなので、ここで一言いっておきたいが、
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・怒りにまかせて人殺しをして、殺してもなおあきたらず、遺体を食い荒らして陵辱する とか、
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・飢えに屈して、罪悪感に苛まれながら家族の死体を貪り食った とか、
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そういう 心が毒されるような反モラルの映画ではありません!!
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父が我が子の幸せな人生を願い、激痛に耐え、身を削って残していった食糧を、
“そんなもの”を食べるのは倫理に反する とパイが拒絶したとしたら? 
はたしてそれはモラルと言えるのか? ということなんです。
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この作品について考察したり意見を述べるなら、せめてここまでたどり着いてからにしてくれ。
生き物を殺して食べるのは是か非か、とか、飢餓状態での人肉食は悪か? なんて大雑把な議論は、『ライフ・オブ・パイ』といふ映画を観なくても出来るぢゃないか。
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ちゃんと映画観ろや。
映画についての話をしようや。
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慣習的な禁忌(タブー)と、人としての良識(モラル)の分かれ道は? を この作品が示す特定の状況から考察してほしい。
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続く
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