ライフ・オブ・パイ専用ザク格納庫

映画ライフオブパイの超長編ネタバレ/その他映画のレビュー/あと気がむいたときに羽生くんを応援

ライフ・オブ・パイ

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●オープニング・テンプレ●●●●●●●●●●●●●●●●●●
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このブログは映画『ライフ・オブ・パイ』の、激ネタバレ レビューです。
映画をまだ観ていない方はご遠慮ください。
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すでに作品を鑑賞済みの方は、
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↓スタート
2013年10月30日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20131030
2013年10月31日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20131031
2013年11月01日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20131101
2014年01月25日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20140125

…以下、カレンダーか記事の一覧から
2014年4月〜 の順にお進みください。.
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で、1/25からの続きです。ほんっとにもう、おまたせしてすみませんでした。
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【概要】
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生き残った父子は協力して筏を増強し、魚を捕り、半年近く漂流を続ける。
漂流の末期、『虎の話』の動画で表現されていたような大嵐で、備蓄した食糧も釣り道具も真水を蒸留する装置も、一切合切流されてしまう。
このままでは二人とも共倒れと悟った父は「必ず“食べて”生き残れ」と遺言して自ら命を絶つ。
パイが父に関して堅く口を閉ざしているのは「このことは誰にも言ってはいけない」というのも遺言の一部だったからだろうと推察します。
すべては、パイが無事生き延びられるように、そして生き延びた後も社会の非難や好奇の目にさらされないように、という親心です。
父との神聖な約束があるので、パイはそもそも救命ボートには父が存在しなかった設定で2つの物語を展開しました。
ただ、病室で『コックの話』を語るうちに、父の遺言に庇われたまま自分一人生き延びていることに耐えられなくなる。父との約束は破るわけにはいかないが、社会に裁かれようとして、自分は人殺しで人喰いだと告解するに至ったのだ、と思います。
結局は保険屋さんは見逃してくれましたけど、もし相手が西洋人だったら徹底的に追及されて人生終了〜だったかもしれませんよね。
(ものごとを曖昧に穏便に済ませる才能に関してニッポンジンは世界一ィィィ)
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でも回想する中年パイは、保険屋さんが不問に処したことをむしろ苦々しく思っている表情。
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 ↑ ここらへんまでを大ざっぱにつかんで、これでレビューが書けるなと見当つけたのが映画4回みた後(3D字幕、2D字幕、3D吹替、も一回2D字幕)。
2013年の3月末頃。
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ただ生来の遅筆が幸いして、その後 更に2回リバイバル上映をみる機会があって、んでディスクも出たし、また何度も観て何度も観て、観るたびに新しい発見があって、上記のようなお粗末な“概要”ではとても語り尽くせない縦横無尽の伏線。気付くたびにアン・リー監督への敬意が増します。もっと丁寧に解析しませんとね。
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「こうかもしれない」「こうだったら辻褄が合う」というだけだったら単なる仮説・想像に過ぎないんです。
仮説を裏付ける要素が、実際の映画の中にあるかどうか。
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【父親殺し…?】
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『コックの話』のラストではパイはコックを殺してその死体を食らった、ようなことをほのめかしていますが、実際は母(ジータ)は自然死だし、そんな状態で父子で殺し合いなんかしません。
パイだって「僕の為に母さんは…」ってショックうけてるわけだし。
ただ、がっくり傷ついてる父にさらに追い打ちをかけるようなことを言った可能性はある、と思います。
ストレスフルな状況では誰かを悪者にして、八つ当たりしてしまうのが人間の弱さだ。あのジータでさえ夫を「モンスター」と罵ったくらいだし。
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愛妻の死を自分のせいだと嘆く父に、
「ラヴィだって父さんが脚を切らなければ死なずにすんだかもしれない」とか、普段のパイなら絶対に言わないようなこと→「そもそも父さんがカナダに行くなんて言わなきゃこんなことにはならなかったんだ!」とかなんとか。
あとで思い返しても、なぜあんなひどいことが言えたのか、自分が許せない、と心が痛むような一幕があったのではないかと思います。
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それに悪感情が無くとも、洋上での作業って大声で怒鳴りあいみたいになります。穏やかな声で丁寧に会話している場合じゃない。
父子で筏を増築する作業で、
「そっち ちゃんと支えてろって言っただろ!!!!!」
とか、
「素材の強度を考えたら最初っから無理だってわかりそうなもんだけどね!!!!!!」
とか、
語尾に「!」が5つも6つもつくような会話が連日繰り広げられたと思います。
パイにしてみれば、自分の中に父親を怒鳴りつける自分がいたっていうのが、ちょっとした驚きだったのではないでしょうか。
「僕の中の邪悪を呼び覚ました」って言っても、たぶんそんなことだろうと思うの。
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【虎の親子】
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大部分の人が作品の本体だと思いこんでいる『虎との漂流記』は、パイが父と漂流した期間から抽出したフィクションです。
ただし、父が虎、あるいはパイが虎か? と単純に当てはめるのではなくて、
(太平洋のど真ん中で父子でマーキング合戦とかマグロの奪い合いとかしてたら不毛にもほどがあるだろ)
雄同士の意地の張り合い、我の張り合いがあったのだと広義に解釈すべきでしょうね。
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能動性の象徴としての“虎” をはさんで、父子が対峙する。
パイの目には苛烈な判断を下す父が虎のように恐ろしく見え、あるときは、父の目に映る息子が虎であった、ということです。
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で、“虎”を単純に「攻撃性」「バイタリティ」「獣性」の象徴と誤解してしまうと、パイは“虎”とは正反対にカテゴライズされますが、再三しつこく強調してきたように、“ウィリアム・ブレイクの虎”=能動性ととらえると話は変わってくるんです。
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小学校時代のパイは休み時間でも一人で本を読んでいるような子供です。
“静”か“動”で言えば“静”。
外向的/積極的/活発/陽性… こう言った性質とは反対側に区分されるでしょう。
が、ウィリアム・ブレイクが唱えた“能動性”とは、表面的にエネルギッシュかどうかだけを指すのではないんです。
権威の言いなりではなく、なにが正しいか、なにが必要かは自分で考え自分で判断する。ブレイクの生きた時代ではそれは生意気で傲慢で許されざること、でした。
国家が秩序を保つために宗教を政治に取り込み、神の意志≒権力者の指図。逆らうものは“悪”と見なされたからです。
主体的な判断で行動する能動的な態度は、世間的には“悪”と呼ばれるだろうが、自分的には“悪”ではない、受動も能動も神から与えられた生きるための力、と主張したのがウィリアム・ブレイク
主体的な考察・懐疑・判断・行動は(見た目エネルギッシュでなくても)ブレイクにおいては“虎”の範疇なんです。
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パイは子供の頃から、父譲りの能動性を発揮してきた虎の子供です。
イジメ対策にニックネームをアピールするときも、誰かに相談とか、先生の許可を…とか微塵も考えないでしょ。
食卓のシーンでも、「洗礼を受けたいんだ」と、一歩も引かないし。
(お母さんが「やっぱりあなたの子ね」みたいにクスッと笑うのが微笑ましかったな。相思相愛の夫婦だと自分の子が配偶者に似てるのがうれしくてしょうがないんでしょうね。このシーン、各人の座席の位置と目線の動きで、誰を見てどんな表情を浮かべてるかよくわかります。)
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【父と子と虎の交錯】
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具体的には、パイがなかなか魚を釣り上げられなくてリチャード・パーカー(長いので以下「リチャパ」)が海に飛び込むシーン。
実際には父の釣果を待ちきれず、これだったら素潜りで捕っちゃった方が早いや と躊躇無く海に飛び込んだのはパイ。そんな息子の姿が父の目には若虎のように頼もしく見えたに違いない。
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首尾よく「捕ったどー!」となれば父の鼻を空かしてやれてさぞ痛快だったろうし、実際、父の釣果が坊主のとき、パイの捕ってきた獲物で二人が飢えを満たしたこともあっただろうと思います。
スクリーン上では、飛び込んだリチャパはボートに上がれず途方に暮れたような目をしてパイを見上げますが、あれはサントッシュでしょうね。間違いなく。
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サントッシュが脚が不自由という、アン・リー作品のオリジナル設定が、空白の227日間を読みとる上で大きなヒントになってくるんです。
原作でもパイの両親は泳げない(泳ぎを習おうとしなかった)設定なんですが、映画はさらに、泳ぎたくても泳げない、サントッシュの脚では水に落ちたらバタ脚もままならないだろうなという描写になっているわけです。
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※サントッシュの歩き方:
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(1)冒頭、雨の中、トカゲの脇を足早に通り過ぎるギプスをつけたサントッシュ
ファースト登場人物は、実はパイではなくサントッシュ(と従業員)なんですよ。この映画。
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(2)少年時代のパイがイスラムの礼拝をするシーン。背後で来客(?)を送り出すサントッシュ

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(3)船倉で動物の世話をするシーン
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ギプスをつければそれなりに早歩きもできるようですが、(2)の歩き方を見れば、右足は麻痺して重い荷物を引きずるように脚を運ぶしかない。
泳ぐは論外、揺れるボートの上でキビキビ動き回るのも難しいと思います。
海に入って筏を増築する作業の大部分はパイが請け負い、サントッシュはボートの資材を海中のパイに渡す役目。で、重い資材をパイに渡そうと身を乗り出した時に横波でもくれば、バランスを崩して海に落ちてしまうだろうことは容易に推察できます。
泳ぎが達者なパイにとっては鮫さえいなければ海に落ちたってどってことないわけですが、サントッシュにとっては絶体絶命の大ピンチです。
すがるような目で助けを求める“虎”と、ブツクサ言いながら助けるパイ。
『虎の話』の動画の中では、リチャパを助けるのと、筏用の資材を調達するのと一石二鳥のシーンになっていますが、実際には筏を親子で(口喧嘩しながら)増築する途中で、サントッシュが海に落ちて、パイが助ける一幕があったんですよきっと。
漂流前半は、パイはまだ父に対するわだかまりがあったと思いますので、(さすがに父に鉈を振りかざしたりはしなかったろうけど)、「ふだん威張ってるくせに海に落ちたくらいで…ったくサントッシュ使えねーなー」みたいに心の中で毒づいたりしたかもな。
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【父との漂流】
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先にもチラとふれましたが、サントッシュの釣果が0のとき、パイが捕ってきた獲物で飢えを満たしたり、パイ主導で筏を増築したり………、
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働き手として父と同等、時にはそれ以上の成果を上げる/父ができないことを自分が易々とやってのける/父の命が危ういところを自分が助ける…
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 ↑ こういう体験は少年が一人前の大人の男に成長する過程で非常に大きな意味を持つはず。
スクリーン上に展開する『虎の話』の中で、ややコミカルな楽しそうな場面、なんかうらやましくて「いいなぁ、自分もまざりたい」と思ってしまう場面は、パイの心情の投影なんだと思います。
船が沈没して1ヶ月足らずで兄と母を相次いで亡くし、明日をも知れない漂流中の身で、楽しむことに罪悪感を覚えつつも、それでもパイは父と過ごした日々が楽しかったんだと思います。
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漂流直後は、苛烈な父への畏怖の念と反目、それから父の弱さや欠点に触れて、嫌悪・軽蔑を通り抜けて、サントッシュという一人の人間と向き合うまでが、スクリーン上で虎とコミュニケーションがとれるようになるまでに変換されている。
“父の決断に従うことを強いられる息子”ではなく、サントッシュの相棒として、力を合わせ、生き延びる為に意見を交換する。対等の立場で。
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そして休息の夜には、色々な話をしたと思います。
生きるために食べることの是非。船が沈没して船員や動物達が海に投げ出され、海の生き物の餌になる。その魚を自分達が食べたら、人間を食べたことになるのか? とか。
食堂でのコックの台詞を引き合いに出して。(→)
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◆◆◆だからパイは病室でセカンドストーリーを語るとき、父をコックにキャスティングしたんだと思います。
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ジェラール・ドパルデュー(長いので以下「ジェラドパ」)が扮する“コック”は映画のオリキャラです。正確には映画の彼は単なる配膳係。スクリーン上、ジェラドパの肩越しの厨房の奥に白い上衣と前掛け姿の調理人がおるし、食堂でのケンカのシーンは原作には無いし、当然「問題ない、これはベジタリアンの牛のレバーだ」なんて台詞も映画のオリジナル。まじ映画と原作は別物です◆◆◆
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(→からの続き)
パイの初恋を引き裂いたサントッシュですが、彼も最愛の女性と死に別れたばかりなので、初めてパイの傷心にまで降りてきて、「私のジータは死んでしまって、もう二度と会えないが、おまえのアーナンディには生きてさえいれば必ず会える」とか。生きるためのモチベになるような話をしたと思います。(夜、好きなコの話とかすると、友達同士の距離がぐっと縮まるしなぁ)  
そういった父との会話をアレンジしたと思われるシーンがスクリーン上にもありますよね。
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先見性のヒト=サントッシュは、漂流が比較的順調にいっている時期にも、万一の事態に備えて、いよいよの時にパイの心を救う準備をしていたと思うんです。さりげなく。
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この記事(4月8日)の冒頭“概要”で、
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>「必ず“食べて”生き残れ」と遺言して自ら命を絶った。
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などと、おおざっぱな書き方をしましたが、「私が死んだら、おまえは私を食べろ」などという一方的な言い方では当然パイは拒絶反応をおこすでしょうから、あくまで対等の誓い と言ったテイで、
「どちらか片方が倒れたら、残った方は必ず相棒の分も生きなければならない」
というような言い方をしたんじゃないかと。
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ほんで、どぉぉぉぉせ「男と男の約束だ!」とかなんとかゆったと思うの。
(虎の檻の前でのジータとの会話を思い出してごらんなさいよ奥さん。絶対ゆうのよ、あのタイプの男は)
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まったくもー、どーして「男と男」なんですか!? ただの「約束」じゃだめなんですか!?
って、つっこみたくなりますわー ちくしょう あいつら女との約束なんか最初っから守る気ねーんでやんの
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というフェミのぼやきはこの際
置い
  とい 
    てー
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ずっと自分を子供扱いしていた父親から「男と男の約束」なんて言われると、俄然うれしくなっちゃうのが男の子ってもんなんでしょうねぇ。
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パイは父に対等と認められたうれしさに目が眩んで、当初、自分がなにを約束させられたのかわかっていなかったと思うんです。
対等の相棒だから生きるも死ぬも一緒だと思いこんでいたんじゃないでしょうか。
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But、生死を共にする相棒だと思いこんでいたのはパイの方だけで、サントッシュはやっぱり父だったんです。確かな先見性と断固とした決断力で道を切り開いてきた虎のような父です。
大嵐のあと、いよいよ進退きわまったとき、パイが飢えと疲れで眠りについた後で、虎のヒト:サントッシュ・パテルは、ある一つの重大な決断を下し、パイが否応なしにその決断に従うようにしむけ、別れも告げずに逝ってしまったんです。
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映画を1回目観たときは、救出されたパイがなぜあんなに大泣きするのか、私にはよくわかりませんでした。
虎が挨拶もせずに去っていったから??? なにそれ?
九死に一生を得て感情が高ぶって、理屈では説明できないメチャクチャな状態になってしまったのかと憶測するのがフツウじゃないでしょうか。
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けど、漂流中の真相を解いた今ならわかります。
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>助かって感極まったから泣いたわけじゃない
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そりゃそうでしょう。
目が覚めて、隣で眠っていると思っていた相棒が、死んで、食料となって横たわっているのを知ったとき、「助かった、飢えから解放された、ばんざーい」なんて感涙する? わけがない。
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スクリーンには、現地の人達に担がれて、仰向けの姿勢でワアワア泣いているパイが映し出されていますが、これも鏡写しの逆パターン。
仰向けじゃなくてうつ伏せ。
あれはサントッシュの遺体にとりすがって泣いたときの泣き方なんです。
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それに続く、中年パイが『虎の話』をし終えたあとの台詞の数々。
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>字幕「リチャード・パーカーは私を友と思っていなかった」
>吹替「私は友達になれなかったんだ」
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ライターに語りながら、話のどの部分でこらえきれずに声を詰まらせるか、その理由。
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今更くどくど説明する必要がありましょうか? 一点の曇りもないと思います。
「解釈は各人の自由」と、もやもや曖昧なまま答えを出さない方がいいですか? 
私は謎をといて、台詞の意味がはっきりわかったとき、100倍この映画が好きになりましたが。 
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え〜
ここで6000字越えてしまいましたので
(オープニングテンプレ入れると7000字越すなたぶん)、
続きはまた次回。
やっと折り返し地点が見えてきました〜
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ところで、今回書いてきた中で、大きな間違いが1カ所あります。書き勧める途中で気づいたんですけれど、文章の流れを切りたくなかったので、そのまま続けてしまいました。
次回はそのフィードバックから。
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