ライフ・オブ・パイ専用ザク格納庫

映画ライフオブパイの超長編ネタバレ/その他映画のレビュー/あと気がむいたときに羽生くんを応援

ライフ・オブ・パイ

.
●オープニング・テンプレ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
.
このブログは映画『ライフ・オブ・パイ』の、激ネタバレ レビューです。
映画をまだ観ていない方はご遠慮ください。
.
すでに作品を鑑賞済みの方は、

2013年10月30日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20131030
2013年10月31日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20131031
2013年11月01日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20131101
2014年01月25日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20140125

以下、カレンダーか記事の一覧から
2014年4月〜 の順にお進みください。.

.
なお、2013年10月30日は、
映画COMのユーザーレビューに13/10/16投稿済みの
・「2度目に観るときはここをお見逃しなく」と同内容
.
10月31日、11月01日の2本は、Amazonの「ライフ・オブ・パイ」カスタマーレビューに13/10/31に投稿済みの2本
・「2度目に観るときはここをお見逃しなく(1)-b」
・「2度目に観るときはここをお見逃しなく(2)+(3)」
と同内容です。
.
上記、投稿済みの3本(ヒント集)を既読の方は、本ブログの1月25日 ■■真相■■ からお読みください。
.
.
.
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
.
.
2013.10/31
amazonカスタマーレビューに投稿済みの魚拓
.
.
.
タイトル通りネタバレです。
.
まだ観てない人はご遠慮下さい。
.









.
パイが病室で語った「コックの話」はウソです。
冷静に話を精査すれば、あの自供は矛盾だらけで、事実であるはずがないんです。
「ウソ」と言って人聞きが悪ければ、「2番目のフィクション」と言うべきか。
.
あまりにも多くの人が、
.
「トラの話」はフィクション、「コックの話」は忌まわしい事実。忌まわしい事実VS心の真実(創作) どちらか選べと言われたら、創作の方を選ぶ、、、
.
と言った論調で、パイが人を殺したという告解を暗黙の内に受け入れてしまっていますが、パイは殺人は犯していません。
.
2択問題じゃないんで、ミーアキャットの人喰い島が信じ難いからと言って、「コックの話」を事実と思うのは早とちりです。
.
※コックの話が矛盾だらけで到底信じ難いという解明は、「映画COM eiga.com」のサイトに投稿しておきました。(字数の関係で)
.
こっちは短縮バージョンなのでサクサク行きます
.
.
.
.
【二つのフィクション】
.
で、『コックの話』もフィクションだと見破ったら、次は、1つ目のフィクション『虎の話』の始まりはどこかを確認する作業に入ります。
.
数式にたとえると(主人公の名前がπだけに)、
.
空白の真実(パイの実体験)をxとして、
xをもとにした2つの関数
.
f(x)=虎の話
g(x)=コックの話
.
この2つをヒントに、連立方程式や連立不等式を解く要領で、x(漂流中に本当は何があったか?)を解き明かす、という思考展開です。
そのために、f(x)の開始点を正確にしておかなければならない。
.
1回目、予備知識無く映画を観たときは、いつの間にかパイのフィクションに引きずり込まれていきますが、その「いつの間にか」っていつから?
スクリーン上に展開する動画が、パイの実体験とカイリし始めるのはどこからか?
.
例えば、虎が突然ハイエナに飛びかかるシーン、ハイエナの姿は忽然と消えてしまいます。シマウマの巨体の陰に隠れたのか、後ずさって海に落ちたのかと、何度見直しても、やっぱり消えてしまっている。
その前の、明かりが灯ったまま沈没していく貨物船。悲壮で大層美しい映像ですが、消えるハイエナ同様、現実にはあり得ないシーンです。水没したら電気系統はショートして照明は消えちゃうもん。
.
アラ探し屋はこういう点をすぐCG処理や編集上のミスと決めつけますが、ミスじゃないです。
.
あり得ないシーン=「これはもうパイの創話の中だからね」というアン・リー監督からの合図です。
.
もっと時を遡れば、パイが家族を助けようと船室に引き返すシーン。水中でシマウマとすれ違いますが、あのシマウマどっから湧いて出たんだっつー話ですよ。シマウマとすれ違ったあとは閉ざされたドアがあるだけで、シマウマが飛び出してくる通路とかないですよね?
.
そういう変なシーンが見つかったら、更に時を遡ってチェックしてみる。一時停止、スロー再生、逆再生などを駆使して。
.
マイディスクを購入した者の特権です。
.
で、ここからがパイのフィクション『虎の話』の始まり、と見極めたら、そっから先をもう一度精査して、「常識では考えられない場面」の見落としがないかチェックしてみて下さい。しつこく。
.
アラ探しをしたら悪い、などという遠慮は無用です。用意周到に張り巡らした伏線を善意でスルーされたら監督が困ってしまいます。
.
ちょっと目端の利く人は、変なシーンを見つけるとすぐミスだと決めつけて酷評するし、理屈抜きでこの作品に感動した人は、常識的にあり得ないシーンを観て見ぬ振りで、せっかくの監督からのお誘いを拒絶してしまってもったいないです。
.
3D映画を 右目だけor左目だけで観ているみたい。
「論理的思考力」と「心で感じ取る力」とどっちも必要なんですよ。
.
けなす気満々のアラ探し屋には何言っても無駄でしょうけど、この作品を好きになった人には、どうか最後まで謎を解いて欲しい。
もやもや謎だった部分がはっきりしたとき、もっと本作が好きになります。
「あのセリフはそういう意味だったのかぁっっっ」って目から鱗がぼろぼろ落ちる感動の瞬間が必ず訪れますから。
.
.
.
.
【なぜ3Dか?】
.
今更ですが、
私達は右目で観たときの画像と左目で観たときの画像のズレから距離感・立体感を認識します。遠景はズレが少なく近景のものほどズレが大きい。
それを応用して、緻密に計算してズラした画像を重ね合わせて観客の脳に架空の立体感を読みとらせるのが3D効果です。
これは「感じ方とらえ方は人それぞれ」などという曖昧なものではありません。
作り手が“虎が飛び出して見えるように”プログラミングした箇所では、劇場のほぼ全員が飛び出す虎を観ることになる。
 (左右の視力に何らかのハンデがある人と3D眼鏡をケチった人は残念ながら観れませんが。)
共通の認識として“飛び出す虎”を観た上で、そのあと、「すごい迫力だった」とか「たいしたことなかった」とか「怖かった」「かわいかった」etc.
それぞれの感想・評価・解釈に分かれていくのは自由です。
だが、虎が飛び出して見えるようにプログラムされた箇所で、「自分にはハイエナが飛び出して見えた」などというのは、“解釈は自由”のうちに入りません。
.
前述のように、この映画は、
『虎の話』と『コックの話』を重ね合わせて比較考量したときに、空白の真実=『パイの漂流中に何があったか』が
推理でちゃんと解き明かせるようにできています。
.
「真相は藪の中」では無いし、2つの話のうち好きな方を各自で事実認定するニ択問題でもありません。
.
3Dの飛び出す虎と同様、『漂流中のパイの実体験』を推理して知るまでが観客の共通認識です。
.
正直、こんな構成の作品は私も初めてだ。
映像でもセリフでも語られていない空白の真実を、推理で解き明かしてから、更にもう一度全体の見直しを要求する作品なんて映画史上初です。
三者から「そういう構成の作品だ」と聞かされてもすぐには信じ難いかもしれません。
でも、そのためにこそアン・リー監督は3Dという手法を持ち込んだんです。
最新の3Dという映像技術を、単なる視覚効果としてではなく、作品の読みとりのヒントの一つとして用いている。
話題作りとか集客効果とかは二の次。
アン・リー監督なら、2Dで充分観客を酔わせる映像美の世界を作れます。
.
3D効果を用いたエンタテイメントの佳作良作は今後も数多く作られていくでしょうが、それらの作品と一線を画して《ライフ・オブ・パイ》は 無双 です。
.
なぜ3Dか? という理由さえわかってしまえば、3Dの視覚効果を封じられても作品の真髄は少しも損なわれないからです。
.
実際、多々ある伏線を注意深く読みとるには2Dがオススメ◎
3Dだとどうしても飛び出す画像に気を取られて集中力散漫になるし、ことに劇場だと、3D料金払ったんだからモトを取らなきゃ、みたいに立体効果にばかり目がいってしまうから。
.
「3Dブルレイ4枚組」を購入しておいて言うのもなんですが、(初回限定生産のブックレットが欲しかったんですぅ〜)、3Dでなければダメ、ブルレイでなければ意味がない、ということはない。
.
100点満点で2000点つけたくなるくらいの圧倒的な映像美ですから、そりゃ画質がいいに越したことは無いけど、その映像美にしてからが、「所詮あやつは四天王の中では一番の小者」というレベル。
.
1stステージは圧倒的な映像美
.
2ndステージは宗教的・哲学的な問いかけ
.
大抵はここ↑でひっかっかって先に進めてない。糸の切れた風船みたいにどんどん作品から遠ざかって、作品レビューではなく、作品に触発された、個人的な宗教観・哲学的考察のレビューになってしまっている。
気持ちは分かるけどね。
私もこの映画を観終わって2週間ぐらいは、ぼーっとその世界をさまよっていたから。
でもそういう宗教的陶酔感・高尚な境地に到達したかのような優越感というのには、あまり長居しないほうがいいんですよ。
それはあくまで通過点に過ぎないんです。
.
3rdステージは冷静に推理して、謎を解き明かす段階です。この3番手を倒さないとラスボスは姿をさえ見せません。
.
以下【・・・】はヒント集です。
.
.
.
.
【クリスティと熱中症.
Q:ところでこの映画、なぜ冬に公開されたんでしょう? 予告編そのまんまの内容であれば、ふつーサマー・バケーションに公開されるはず。
.
A:「暑さ」や「日差し」を観客が実感できないようにするためです。
.
アガサ・クリスティのデビュー作「スタイルズ荘の怪事件」は、夏の暑さが事件を解く重要な鍵の一つなのですが、クリスティは読者が「暑さ」に気づかないように、敢えてクリスマスに発表しているんです。
以後、クリスティは毎年クリスマスに新作を発表し続て、「アガサ・クリスティから英国民へのクリスマスプレゼント」と、冬の風物詩のひとつに数えられるようになるのですが、デビュー作のクリスマス発表だけは、単なる「X’sプレゼント」以上の意味があったわけです。
作品発表の時期までが、読者の目を眩ますトリックの一部、というあたりが、さすがミステリーの女王。
.
アン・リー監督は今回、このクリスティの例に倣ったんです。
本国アメリカでは、当初は12月中旬公開予定だったのが、諸般の事情で(詳細はwikipedia参照)前倒しで11月公開に。
日本ではクリスマスより1ヶ月遅れの1月下旬公開。
.
ほんとならクリスティ同様、「アン・リーからすべての映画ファンに贈るクリスマスプレゼント」とプロモーション予定だったと思われます。
.
作中、パイが筏にサン・シェードを作って、「わずかな日陰がこれほど有り難いとは。。。」と言う場面がありますが、空調の効いた映画館の暗闇の中で、ジリジリと肌を焦がす強烈な日光を実感するのは困難です。まして戸外が冬なら尚更です。
.
そして熱中症
.
宗教的な高尚な境地を漂いたい人には一笑に付されるでしょうが、ライフ・オブ・パイの世界は現実と地続きです。
喰うものを喰えば出るものは出ます。傷んだものを喰えば腹を下します。
パイが漂流したのは赤道付近
(北回帰線と赤道の中間くらい)、非常に熱中症にかかりやすい環境なんです。
DVD・ブルレイが出た今年(2013)の6月上旬。日本は早くも夏本番の暑さで、テレビでは連日「熱中症対策にこまめな水分補給を」と注意喚起していました。
でもパイの漂流した環境では飲みたいときに飲みたいだけ水を飲むことはできません。飢えより先に熱中症で命を落とす危険が高いんです。
.
冬の公開時には気付かなくても、6月7月8月と暑い盛りにライフ・オブ・パイを観れば、真相にたどり着く人が増えるのではないかと、ずっと映画サイトやamazonの新着レビューをチェックしつづけてきたのですが、
.
(;_;) こねーーーー
.
.
.
.
【カナダ人ライター】
.
推理小説つながりでもう一つ肝心なヒント。
.
推理小説では、しばしば読者の目を眩ます煙幕として、「いかにも怪しい、犯人っぽい奴」が配置されます。
.
ライフ・オブ・パイでは殺人事件こそ起こっていませんが、あのカナダ人ライターは実は観客を惑わす煙幕の一つ。
.
あれはヤン・マーテルではありません。
単なる“無名の脇役その1”です。
いわゆる「狂言回し」的な、パイの2つのフィクションに翻弄される観客の代弁者なのです。
.
パイの話を聞いて小説を書く設定になっているので、大部分の観客は、彼を原作者ヤン・マーテルの投影だと思いこんでしまう。
困ったことにWikipediaでさえ、レイフ・スポールが演じた役を「ヤン・マーテル」と堂々と表記しているくらいだ。
(訂正するようにどなたかWikipediaに言ってやって下さらんか )
.
で、「シマウマ=船員、コック=ハイエナ、。。。」
.
権威あるブッカー賞受賞の原作者本人の種明かしだもの、これはもう天の声・神の声。
やっぱり(認めたくないけれど)『コックの話』が事実。。。と丸め込まれてしまうのですが、、、、ちょっと待て!!!
.
映画のクレジットには、ただ「ライター」とあるだけで、名前は無いんです。
.
ちなみに原作小説では、病室での描写や『コックの話』の細部も異なりますし、「シマウマ=船員、コック=ハイエナ、。。。」と一対一で当てはめて「じゃあ、あいつは。。。」とギョッとして口をつぐむのは事故調査の日本人のオジサンたちです。
.
原作者本人からの種明かしなどではないので、カナダ人ライターの発言は無視して差し支えありません。
てか、パイの「コックの話」の矛盾に全く気づかないあたり、小説家としてどうよ? と思ってしまう。
.
映画パンフで、当初はトビー・マグワイアを起用する予定がスポールに。。。と書いてありましたが、ただでさえ原作者の化身のように誤解される(ように演出する)のに、その役に大スターを起用しては、煙幕が効きすぎてしまう、、、という懸念から無名の役者に変更したんだと思います。
.
原作者のヤン・マーテル氏も、あの『コックの話』を真に受けるライターが自分だと思われては困るでしょうし。
.
映画パンフで、「映画と小説は別、アン・リーの作品だから賞賛も非難もアン・リーのもの」(要約)とコメントを寄せてますよね。
.
.
.
.
【原作と混同しないこと】.
アン・リー監督は、主要なキャラクター設定やエピソードをかなり作り変えて、自分自身の映画作品として完成させています。
.
「原作を読んでからじゃないと映画の内容もわからないのか?」という心配は無用。
むしろ両者を混同すると、小説・映画 どちらをもとらえそこねる結果になります。
.
私も初めは映画の疑問点を原作で確認しようと、文庫本&ペーパーバッグを購入しましたが、見事に肩すかしをくらいました。
.
ツィムツーム号のスペルを知りたくて原作を読めばツシマ丸だし、サントッシュとジータのそれぞれのカーストが正確に書いてあるかと思えば、身分違いの結婚で勘当されたエピソードは映画だけの設定だったり、、、
.
(原作を読んでいない方は驚かれるかもしれませんが
パイが「虎にだって心はある!」と直に餌を与えようとするシーンは原作にはありません)
.
映画の謎解きに原作は不要です。
ただ、謎を解いた後振り返ると、推理に役立った重要なヒントは、ことごとくアン・リー監督が映画だけに付け加えたオリジナル設定でした。
原作と比較して、作り替えられた部分にこそ監督の制作意図が見いだせます。
.
※原作小説には、きっぱり謎が解けるような道筋はないようです。
動物の生態に関してかなりのページを割いてあり、「人間的」「動物的」といった既成概念に、グラグラ揺さぶりをかけてくる。
問題提起が多々ある反面、著者自身の意見に読者を誘導するような書き方はしていません。
.
原作との相違点は3パターンに分かれます。
.
1、変えざるを得なかった部分
.
例えば、ハイエナがシマウマを食い殺すシーン。小説の描写は大変にグロいです。あれをそのまま視覚化したら間違いなくR指定。
その他、小説と映画では表現手段が異なりますから、変えざるを得なかった箇所は当然出てきます。そういう“違い”は深読みの対象外。
.
2、変えなくてもいいのに変えてある部分
.
●船の名前。小説家がちゃんとリサーチして日本船として通用する名前になっているのに。
●パイが船室を出た時刻。原作では「午前4時半をまわったところ」。映画では目覚まし時計が大写しになって時計の針は1時17〜18分ぐらい。
.

.
この時差は推理小説のアリバイくずしのような深い意味は無く、監督が“作り変えている”のを強調しているのだと思われます。
●パイがカミュの『異邦人』を読むシーン。原作にはありません。にもかかわらず、字幕でこの小説のタイトルをアピールしてありました。(日本側スタッフの丁寧な仕事ぶりに感謝!)
これは、監督が“原作をちゃんと読んだ上で作り変えている”=「原作を読み違えてるわけじゃないからね〜」というアピールかと。
(原作のパイは、、、面倒くせぇというか、こまっしゃくれてかわいげの無い奴で、確かに『異邦人』の主人公ムルソーを連想させるんです。病室で事故調査のオジサン達を苛つかせた“ヒトをくったような”態度!!
スラージ・シャルマ君のピュアなパイをちょっとは見習え〜 と本末転倒)
.
3、オリジナル設定
原作小説の権威性におんぶ抱っこではなくて、原作を土台にしてひとひねりもふたひねりも加えて、“推理で謎が解ける”独自の作品に仕上げてある。
.
1、2、に該当しない相違点が重要な手がかりです。
.
【サントッシュとジータはラブラブ】
.
一番重要な点は、両親の設定です。
.
サントッシュとジータは波瀾万丈の末に結ばれた熱愛カップル(←マジでこれ重要)
.
ジータは上位カーストのお嬢様で、当時のインドでは珍しい大卒女性で植物学者。
サントッシュとの身分違いの結婚で親に勘当される。
.
ナレーションではさらっと語られますが、今よりずっと旧弊だった1950年代のインドで、カーストの違いを乗り越えて結ばれるなんて、それだけでスピンオフ作品が1本撮れてしまう大恋愛だ。
しかも身分が上の男性から手を差し伸べるシンデレラ・ストーリーではなくて降嫁。
あんな綺麗で聡明な高嶺の花のお嬢様が、なにもかも捨てて身一つで嫁に来てくれたんだから本当にサントッシュ・パテルは果報者だ。
.
サントッシュが元ポリオで無神論者で肉食という設定も映画のオリジナル。
原作では元ポリオの無神論者はパイの生物の先生です。
映画化の際に複数のキャラクターが、一人にまとめられることはよくありますが、この場合は単に登場人物の整理のためではありません。
サントッシュがポリオの後遺症で脚が不自由 という点が、全編を通して非常に重要な意味を持っています。
映画ではサントッシュが脚を引きずって歩くシーンが3回出てきます。父さんの歩き方 チェック入ってますか?
.
他、
原作に無いのに付け加えられたシーン・エピソードは、
.
●パイの初恋のアーナンディ
.
●食堂でのサントッシュとコックの喧嘩
.
●船倉でバナナを食べるパイ、動物の世話をするサントッシュ
.
いずれも非常に重要なシーンです。
.
.
.
.
【パイの宗教観】.
漂流中〜漂流後のパイは別として、漂流前のパイ(幼少期〜少年期〜青春期)の宗教観は、あまり大げさに受け止めない方がよろしいかと。
.
ヒンズーの神々は私にとってスーパーヒーローになったとナレーションがあるように、幼いパイにはヒンズー神話は魅力的なフィクションに過ぎません。
日本の子供たちが、マンガやアニメに夢中になって好きなキャラクター達を心の友とするのと同じなんです。
幼稚園や小学生ぐらいの年齢の男の子が、この世はでっかい宝島で海賊王にボクもなる! と、胸をときめかせているときに、父親が「そんなものは嘘っぱちだ。ちゃんと現実をみろ」と説教したところで、考えを改めるわけがない。
サントッシュが「宗教は闇だ」と諭すシーン、息子2人共まるで聞いちゃいねぇ(笑)
.
その後も、“キリスト教”にではなくキリストに出会って惹かれていったんです。
山の教会での第一声は「なぜ神は残酷なの?」でした。
横暴な父に犠牲を強いられる息子、というキャラ設定に「僕ト同ジダ」と共感を覚えただけで、ウパニシャッド哲学からスコラ哲学への移行、みたいなややこしい話じゃない。
.
客観的にみて、サントッシュはそんなヒドい父ではないんですけれど、コドモ(反抗期ですよね)のパイから見れば、心の中の宝物をけなしたり取り上げたりする存在だった。
.
アーユッシュ・タンドン君が演じる11歳のパイはずいぶんときっつい目で父を見ています。「ホントウニ大切ナモノハナニカ、父サンニハチットモワカッチャイナインダ」って言いたそう。
.
サントッシュは大人目線で、宗教紛争とか宗派による戒律の違いなどを念頭に置いて、一つの宗教に決めろと意見しますが、パイからすれば、なぜ好きなマンガやアニメや音楽が複数あってはいけないの? と言ってるのと同じで、父子の会話は噛み合っていないんです。
.
※原作のパイはいっぱしに、キリスト教イスラム教もルーツは同じエホバの神だとか反論しますが、原作と映画は別キャラなので、くれぐれも混同なさらないように。
.
DVD1枚のカスタマーレビューに続く→ 
「2度目に観るときにはここをお見逃しなく(2) トラとロータスの対比〜」
.
.
.
.
.
.
.ꬠ