ライフ・オブ・パイ専用ザク格納庫

映画ライフオブパイの超長編ネタバレ/その他映画のレビュー/あと気がむいたときに羽生くんを応援

ライフ・オブ・パイ

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このブログは映画『ライフ・オブ・パイ』の、激ネタバレ レビューです。
映画をまだ観ていない方はご遠慮ください。
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すでに作品を鑑賞済みの方は、
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↓スタート
2013年10月30日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20131030
2013年10月31日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20131031
2013年11月01日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20131101
2014年01月25日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20140125

…以下、カレンダーか記事の一覧から
2014年4月〜 の順にお進みください。.
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【鏡のリチャパ】
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肉食獣の虎の名前が、漂流中に喰われた犠牲者リチャード・パーカーと同じだという理由の一部は既に述べました。
虎の人がパイの食料になったから。
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ただ、もっと大きな理由が別にある。
サントッシュの自己犠牲の選択は、ミニョネット号の船長とは正反対、アンチテーゼになっているってことです。
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長文のパイ・レビューをここまで根気強く読み続けていただいている読者様には、今更《ミニョネット号の悲劇》のあらましを説明する必要もないと思うけれど一応。
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《ミニョネット号の悲劇》
船が嵐で沈んで、ボートには船長と2人の船員 計3人の大人と、給仕の少年リチャード・パーカー(パイと同じ17歳)
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リチャード少年は海水を飲んで衰弱し余命幾ばくもない様子。さらに彼は天涯孤独で少年の死を悼む人はいない。船長や船員には家族がいて、大勢の友人知人がいる。
四人共倒れになるのと、一人を犠牲にして三人助かるのとではどちらがよい選択か?
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船長たちの生還を喜ぶ人々の数>少年の生還を喜ぶ人々の数
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という冷酷な計算で、船長は少年を犠牲にする選択をする。
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「幸福は数で計れるか?」という命題で白熱教室でも取り上げられていましたが、学生の一人が「少年には未来があった」と反論していました。さすがはハーバードの学生さんだわ。
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白熱教室を見てたとき、なぜ船長達は少年が自然死するまで待てなかったのか? 私はそれが腹立たしかった。サンデル教授の命題からは逸れるけれど、船長達が餓死した後まで虫の息の少年が生きながらえるはずがないので、船長達は餓死したくないから少年を殺したのではなくて、空腹を我慢したくなかったから殺したにすぎない。
早く死なないかとチラチラ物欲しげな目で見られるのもたまったもんじゃないだろうけど、せめて寿命が尽きるまで待てや。
できれば、(きれいごとかもしれないけど)、「必ず助かる。頑張れ。みんなそろって故郷へ帰るんだ」みたいに励ましてあげてほしいよね。そんな展開なら、薄幸の少年も短い生涯の最期に人の情けに触れることができて、安らかな気持ちで旅立てたかもしれないし、大人達の思いやりに感謝して「僕が死んだら皆さんで僕を食べて…」って言えたかも知れない。喰われる側の赦しがあるとないとでは、人肉を食うストレスだって全然違ってくるし。
結局、少年が衰弱していて余命幾ばくも無かったってのは、生き残った三人が口裏合わせてるだけではないかと疑ったよ。

『エイリアン4』で、とらわれたエイリアン(ちょうど4匹)が、1匹を犠牲にして3匹が脱出する場面があったけど、リチャード少年が殺されたときもあんなかんじだったのでは? と思いました。
『エイリアン4』のスタッフが、ミニョネット号事件を念頭においていたかどうかまでは知らないけど>。
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ライフ・オブ・パイを観た後で、もうちょっとnetで調べたら、船長が自然死を待たなかった理由として、「死んだら血液が凝固して飲めなくなるから」と裁判で答弁していたそうで戦慄しました。
あのさぁ、凝固した血液にだって屍肉にだって水分は含まれてるはずだし、水分摂取のためじゃなく、液体をゴクゴクぐびぐび飲みたい欲求をおさえきれずの殺人じゃん。生き延びるためにやむなくって話じゃないよね。
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白熱教室でも、一方的に弱者の少年を犠牲に選ぶのではなく、公平にくじ引きで、とかの意見も出てたけど、理想論を言えば、船長が自ら進み出て犠牲になるべきじゃね? ノブレス・オブリージュの原則からすれば。

ノブレス・オブリージュって一般的には「高貴なる者の義務」って解説されてるけど、貴族の称号を持っているかとか、見た目上品かとかの話じゃなくて、権力と責任がキッチリ正比例関係にないと社会が滅ぶんだよってことなんですが、
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下っ端の平社員だって、何らかの決定権が与えられていれば、その決定には責任を持たなければならない。中間管理職、会社役員、代表取締役…と、役職が上になればなるほど、裁量(決定権)も増大するが、その分 負わねばならない責任も重くなる。
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そのノブレス・オブリージュとは対極にある土人国家の考え方がコレ
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出世してエラくなればイイ思いができる、イイ思いができるってことはイヤなことはしなくて済む。責任を取るってイヤなことだから、エラくなれば責任取らなくて済むんだよね?
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平社員がキリキリ舞いで仕事してるそばで、得意げにサボり自慢してる中間管理職っていますからねぇ エラくなればサボれるんだぞ。悔しかったら出世してみろ的な。
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(喩え話です。架空の話なの)
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ミニョネット号の事件は、まさにそれ。実際に起こった責任無き権力の行使。
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本来、船長というのは船の最高権力者であると同時に、乗客/乗務員/船舶そのものの安全すべてに責任を持たねばならない。
それに、パテル家のように血の繋がった親子では無いにしろ、大人は年少者を庇護する立場にある。
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権力者が責任を果たさず、弱者を犠牲にし、悪びれもせず自己正当化したエピソード。他人より自分。立場の強い者が優先。
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※あえて「弱肉強食」の4文字を使わないのは、野生動物だって群のボスが弱者を守るために命をかける例が幾多あるからです。
シートン動物記とか読めば。

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自分だって極限状態にあれば、そんなきれいごと言ってられなくなるだろうという自覚はあるのだけれど、それでも、サントッシュの選択は正しく、船長の選択は間違っていた、と断言したい。
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なぜならサントッシュの選択は多くの人を幸せにした。息子のパイは生き延びて、出会いを重ね、友人知人を増やし、家族をはぐくんだ。
船長達は、自分達が死んだら悲しむ人達が大勢いる(=生還すれば皆が幸福になる)、と主張したが、家族友人知人が生還に感涙したのも束の間、裁判で少年の犠牲が明らかになるにつけ、家族も知人も幸福では無くなった。生還した当人達も、幸福とはほど遠く、暗い表情で酒浸りの余生を送ることになったそうだ。
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極限状態では誰もが判断を誤りがちだが、誤る人間が多いからといって、多数決で、極限状態においてはそれが正当(=仕方ない)、とはならない。
誰のことをも幸せにできない、皆を不幸にした選択をどうして正当化できようか。
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平素、落ち着いて、よくよく物事を見て、先々考えたうえで下した結論が、やっぱ正しい。
問題はそれをいかなる時でも維持できるかどうか。
(↑ この「判断力のキープ」は、またあとで出てきますのでおぼえておいてくだされ)
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映画公開時に、リチャード・パーカーの名前の由来が最も重要な鍵みたいに、これはリチャード少年追悼のための映画!と力んだレビューがあったけど、一人の犠牲者に同情して創られた映画じゃないと思うのよ。
責任無き権力 へのアンチテーゼ。
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17歳の少年を犠牲にして生き延びた船長と、17歳の息子のために命を捨てた父親の対比。
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漂流中の真相にたどり着いてはじめて見えてくる対比です。
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な? だからこの映画には鏡写しの正反対がいっぱいあるって言ったろ?.
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「父なる神の愛」への入り口として、ノブレス・オブリージュを体現する理想的な父(リーダー)として、描かれているのがサントッシュ・パテル。
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つづく
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