ライフ・オブ・パイ専用ザク格納庫

映画ライフオブパイの超長編ネタバレ/その他映画のレビュー/あと気がむいたときに羽生くんを応援

ライフ・オブ・パイ

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このブログは映画『ライフ・オブ・パイ』の、激ネタバレ レビューです。
映画をまだ観ていない方はご遠慮ください。
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すでに作品を鑑賞済みの方は、
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↓スタート
2013年10月30日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20131030
2013年10月31日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20131031
2013年11月01日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20131101
2014年01月25日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20140125

…以下、カレンダーか記事の一覧から
2014年4月〜 の順にお進みください。.
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【異邦人】
アン・リー監督が映画だけのオリジナル設定として付け加えたシーンに、高校生のパイがカミュの『異邦人』を読むシーンがあります。
しかも(たぶん制作サイドからの肝いりだと思うけど)、本のタイトルをわざわざ字幕で強調していたし。

これも注視せねばならないことの一つ。どうでもいいことならアン・リーが付け加えるはずがないので。
ヒント集[本ブログ 2013/10/31]の記事で書いたことはあまりにも考察が浅すぎてw(今読み返すとほんとハズカシーーー///滝汗)さーせぇーん訂正しまーす。

えと、まず実存主義
カミュ自身は「自分は実存主義者ではない」と否定していますが、どこがどう実存主義とは違うのか? の説明のためにも大雑把に実存主義の説明から。

ポピュラーでわかりやすいので、

阿刀田 高 著
旧約聖書を知っていますか』
第8話「アダムと肋骨」

からの受け売りで。

道具としてのペーパーナイフは、まず用途があり、用途を果たすための機能、材質、扱い易いデザインetc.…そういった考察の後に制作される。
本質(定義・企画)が、実存(具現・製造)に先立つ。

一方 人間は?
キリスト教社会では、神が人間を作ったことになっているので、神はいかなる目的で人間を作ったか? どのような生き方が神の御心にかなうのかを模索する歴史が永きにわたって続いてきた。
その大命題に「知らんがな」を突きつけたのが、サルトルの「人間においては実存が本質に先立つ」。
この革命的な言辞から実存主義命名された。
人間は神によって作られた道具ではない。造り主の意図をあれこれ模索してもしょうがない。自分が存在する意義は自分で考えて自分で決める。
かなり反逆的な思想である。ロケンローラ的というか、ウィリアム・ブレイクの虎の思想に近いと思う。

で、映画『ライフ・オブ・パイ』では、「神と人間」の対比の雛形として、「親と子」が描かれておりまする。
船名ツィムツームは、雛形・箱庭・縮小サイズの模型 の意味だから。


幾何学の相似形のように、親の愛の延長で神を知る。
と同時に、神との関係性に対する見直しが、親子関係の見直しにつながっていく。

人間は神が作り出した道具なのか?
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子は親が作り出した道具なのか?

親が使用目的を決めて子作りすることのへの問いかけにつながっていくのである。

家業をつがせるとか、いいとこに嫁がせて親の事業の人脈作りに役立てるとか、老後の介護要員を確保するための子作りとか。第一子が先天的なハンデを持っていたため、将来的にその子の面倒を看させるために第2子を作る、とか。
何年か前のハリウッド映画で、長女が難病を持って生まれたので、拒絶反応のリスクが少ない臓器移植用に次女を作った、というプロットの映画があって、CMみただけでゲンナリしたのでタイトルおぼえてないんだけど、なんか最後は涙のハッピーエンド? の感動の家族愛の映画? みたいな宣伝でしたが。本編をちゃんと観れば印象も変わるのかもしれないけど、用途を決めて子供作るって設定がすごくイヤで見る気になれませんでした。実はイイ映画なんでしょうかね?
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それはさておき、
職業とか用途じゃなくても、親が育成ゲームを楽しむみたいに、○○な人間に育てようって、当たり前のように計画を立てて、計画以外の有り様を許さない、とか。
優しい子に育ってほしい、とかいう願望ならまだ普通だと思うけど、「型にはまらないノビノビした自主的な子供」という型にはめようとしたり、「みんなをグイグイ引っ張っていく地域社会のリーダーに育ってほしい」とか正気の沙汰じゃないわw 神でもないのに神様ごっこ
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で、実存主義の話に戻りますけど、提唱者のサルトルカミュは親しい仲なので、カミュもはじめは実存主義の作家と見なされていて、でも本人がきっぱり
.>「自分は実存主義者ではない」「僕が発表した唯一の思想書である『シシュフォスの神話』は、いわゆるの実存主義の哲学に反抗する方向に向けられていた」
ソース 新潮文庫『異邦人』の巻末解説

と否定しているので、今うっかり「実存主義カミュは…」などと言うと面倒なことになりそうなので…前置きが長くなってすいません。
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サルトルが神の意図の押しつけにまず反旗を翻したように、カミュはさらにあらゆる押しつけを否定したかったのではないか。あの当時、一大勢力だったマルクス主義とか、一つの思想にカテゴライズされると、「○○主義者ならそういう考え方をするべきではない」と、しがらみというか押しつけに巻き込まれる。一切からの解放を試み逃れようとしたのではないかと思います。めんどくせぇんだよな、思想にアイデンティを求める奴らって。
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んで、『異邦人は』、
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>きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない。
という有名なフレーズからはじまる。有名なんですって。私は知らなかったけど。
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で、主人公のムルソーは、母の葬儀で涙ひとつこぼさず、翌日海水浴にいって、旧知の女性と再会して、夜には映画館でいちゃついてベッドイン。その後、以前と同じ日常に戻るが、知り合いの痴情沙汰に巻き込まれ、決闘する羽目になって、結果、相手を殺してしまう。
殺人罪で起訴されるが、母の死を悼む様子もなくレジャーや情事にふけっていた、という点が、なんでか裁判の争点?になっていって、弁護士、判事、司祭が、母に対する哀悼のポーズや世間が納得するようなリアクションを求めるが、ムルソーは断固拒否する………

海辺でそんな本読んでたのかパイ。
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作者自身の解説によれば、
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>母親の葬儀で涙を流さない人間はこの社会で死刑を宣告されるおそれがある、という意味は、お芝居をしないと、彼が暮す社会では、
異邦人として扱われるよりほかはない、ということである。ムルソーはなぜ演技をしなかったか、それは彼が嘘をつくことを拒否したからだ。

だそうです。

『異邦人』の英語版に寄せた自序(1955年1月)
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パイの場合はお母さん大好きっ子なので、強制されなくたって母が死んだら深い悲しみにおそわれるでしょうが、
『異邦人』を読んでいた高校生のパイは、
世間の、親の、誰かの、言いなりでなくて、自分自身の生き方を模索したい、という心境だったのでしょう、「私は生き甲斐を捜し求めていた」というナレーションが入る。
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サントッシュは固定した考え方・生き方を押しつけているわけではなく、「私とは違うものを信じろ」と諭すような、かなり物わかりのよい父親なんですけれど、だからこそ逆らう糸口がない、釈迦の手のひらから抜け出せない孫悟空のような心境になっちゃうのかなー。

余談だけど、三原順先生の『Sons』で、完璧な父親を持った長男が、父を越えられず反抗の糸口もなく、生きてゆくことができなかったエピソードがサイドストーリーとして織りなされていたなぁ。とか、思い出して、読み返してしまいました。何度読み返しても三原先生はすごい。早逝が惜しまれます。


主人公の従兄弟のウィリアムと長男ジュニア、次男ケヴィン。脇役なんだけど、ジュニアのエピ、泣いたわ。
でもウィリアム危険な大人の男の魅力でカッコイ。根がヤクザでw
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さらに余談だけど、ミック・ジャガー?だっけ、有名ロック・アーティストの娘の…誰ちゃん?だっけ? 名前忘れたけど、親が酒たばこドラッグセックスなんでもありの人なので、精一杯の反抗のあかしとして「ストーンズなんてクソだわ。エアロスミスが最高!」と言うしか道がない、という。なんか、かなり気の毒な境遇っぽいなと思いました。昔その記事を読んだときには。
んで、対象的だったのが、高校の時の化学の先生が、職業柄、添加物やジャンクフードに厳しい子育てをしていて、小学生の息子に買い食いを禁じていたんだそうです。
が、ある日、授業の前の雑談でガックリ肩を落として「うちの坊主がなぁ、最近 親にかくれてコーラ飲むようになって…」ってクラス中が大爆笑だった件。
コーラで父への反抗心が満たされるなら安いもんじゃないですか。
自由放任すぎてどうやって反抗したらいいかわからないような子育てよりずっと安全だw

脱線すみません。
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18世紀半ば(啓蒙思想フランス革命 あたりから)〜20世紀初頭にかけて、次々と考え方の見直しが起こって、不動普遍と思われていたことが動きはじめる。
文学でも勧善懲悪が絶対的ルールだったのをはねのけて自然主義が台頭したり、親/子、男/女、支配/被支配 の絶対的関係の見直しとして、ルナールの『にんじん』とか、イプセンの『人形の家』とか。
んで、神が「人間を動物より優れた存在に位置づけた」、という考え方への見直しとして、ダーウィンの進化論とか、シートン動物記、自然科学の分野でも次々と進化が起こる。
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その流れのなかでの、神の意図がなんぼのもんやねんの実存主義です。
んで、2度の世界大戦で神は死んだ(ニーチェ
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神(親)へ反旗を翻すのが絶対悪ではなくなるまでの長い長い道のりです。
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でも、おおもとの啓蒙主義が、「このような世の中が神の御心にかなうものだろうか?」という宗教倫理を発端としているところが興味深い。
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中世では、農奴に生まれれば一生農奴。職人の子は職人。貴族に生まれれば貴族。
親と同じ人生を歩む以外の選択はなかったから、子供が「自分なりの生き方」を模索するとか進路についての意見対立とかもなかっただろうし、その頃の子育てはあんまり悩まなくてすんだんじゃないかな。
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第一、子供は天からの授かりもので、作るものじゃなかったし。
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セックスとか妊娠とか生々しい言い方を避けるために、遠回しに「子供を作る」という言い方をするのは別に目くじらたてるようなことではないけれど、ただ、意識の上で、子供を「親が作った道具」と所有物扱いする毒親は絶滅してほしいですね。もう21世紀なんだから

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つづく
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