ライフ・オブ・パイ専用ザク格納庫

映画ライフオブパイの超長編ネタバレ/その他映画のレビュー/あと気がむいたときに羽生くんを応援

ライフ・オブ・パイ

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●オープニング・テンプレ●●●●●●●●●●●●●●●●●●
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このブログは映画『ライフ・オブ・パイ』の、激ネタバレ レビューです。
映画をまだ観ていない方はご遠慮ください。
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すでに作品を鑑賞済みの方は、

2013年10月30日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20131030
2013年10月31日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20131031
2013年11月01日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20131101
2014年01月25日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20140125

以下、カレンダーか記事の一覧から
2014年4月〜 の順にお進みください。.
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なお、2013年10月30日は、
映画COMのユーザーレビューに13/10/16投稿済みの
・「2度目に観るときはここをお見逃しなく」と同内容
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10月31日、11月01日の2本は、Amazonの「ライフ・オブ・パイ」カスタマーレビューに13/10/31に投稿済みの2本
・「2度目に観るときはここをお見逃しなく(1)-b」
・「2度目に観るときはここをお見逃しなく(2)+(3)」
と同内容です。
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上記、投稿済みの3本(ヒント集)を既読の方は、
本日2014年1月25日
■■真相■■ からお読みください。
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お待たせしました。
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■■真相■■.
救命ボートにはパテル家の4人が乗っていました。
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と、いきなり言ってもどうせ「BBAの妄想乙」とか言われちゃうんだろうな
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推理と妄想は違うんで、まずは地道な積み重ねから。
当たり前の、わかりきったことから始めます。
くどくて退屈でしょうがご辛抱を。
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【マニラを出て4日目】.
パイの第一の創話『虎の話』の始まりはここ。
この先、スクリーン上に展開する動画の中で、常識的にあり得ない場面は信じなくていいんです。むしろ「事実はこうじゃなかったんだ」と判断すべき。
それがこの映画のルール。幾何学で言えば公理に相当します。
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で、この「4日後」って数字がミソなのね。
マニラを出港する当日暴風雨だったら、あるいは“4日後に嵐に遭遇する”という正確な予測が可能だったら、船は出港を延期するなり航路を変更するなり、何らかの対策を立てたはず。
だが、そのような予兆は無かった。
21世紀の今だって週間天気予報の後半はよく外れるし、
70年代の天気予報はもっと精度が低くかった。
(日本の天気予報にも、まだ“降水確率”なんて導入されてませんでしたからねぇ)
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とはいえ当時でも“明日〜明後日は暴風雨”程度の予報なら可能でした。
つまり? 船が順調に航海を続け、群島域を抜けて太平洋に躍り出た2日目の午後〜3日目の未明頃に「航路上に低気圧が発生し、このまま進めば嵐に突入する」という気象情報が入ったわけです。
で、サントッシュは動物園経営者(その前は海辺のホテル経営者)、ジータは植物学者。どちらも気象の変化には敏感でなければ務まらない職業です。
んでパテル家はラジオを持ってます。長旅で退屈するだろうからラジオぐらいは手回り品として船室に持ち込んでいるはず。(ラヴィの目覚まし時計とワンセット〜)
要は、嵐の予報は船側スタッフだけでなく、パテル家の4人も共有していた、ということなんです。
で、そのような状況で、サントッシュのような性格の人間が「船長さんに万事お任せ」って、のほほんとしているだろうか?
いつも先手先手を打って人生を切り開いてきた、やり手の実業家です。
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私が腑に落ちなかったのは、まるで印象が異なる2つのフィクションの奇妙な共通点。
『虎』『コック』、どちらの話でも父さんは船と共に海の藻屑で早々に退場〜という点でした。
なんであのお父さんが嵐の晩に熟睡してるんだろう?
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陸上に住む我々だって、大型台風が今夜自分の住む地域を直撃!となったら、一晩中まんじりともしないで過ごすケースも少なくないのでは? 川沿い海沿い山沿いで過去にも被害があった地域なら特に。
(んでパイはきっと田んぼの様子を…)
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船は板子一枚下は地獄。自分と家族が乗っている船が嵐に突っ込んでいくのに、万事他人任せで安眠しているサントッシュなんて、いくら画面にはっきり映っていたって信じられない。そんな画像を真に受けるくらいなら、ミーアキャットの人喰い島の方が、まだしも信憑性があるというものです。
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サントッシュは眠ってなんかいなかった。自分だけでなく、家族全員に起きているよう命じ、何かあったら直ちに行動に移れるように出来るだけの備えをしていたはず、だから一家4人は首尾よく救命ボートに乗り移ることが出来た、というのが私の考えです。
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それ以前に、気象予報をキャッチした時点で船側の幹部に対して、大丈夫なのか? 対策は立ててあるのか? 直撃を避けるよう迂回すべきではないか? どこか停泊できる港まで引き返した方がよくはないか? と、あれこれ提言したと確信しています。家族の命と、新天地で暮らしてゆくための全財産がかかっているんですもの。
食堂での喧嘩のシーンでもわかるように、父さんは家族を守らねばと神経ビリビリしてるんです。んで、ずっとオーナーとして生きてきた人だから上からものを言う癖がついちゃってるんですね。
一方、船側からすればパテル家はお客様ではない。渡航費用を安くあげるために「動物の世話は自分達でするから」って頼み込んで乗せてもらってる立場なんです。「なんだあのインド人、偉そうに」って。感情的な反目も生まれるでしょうし、引き返したり迂回したりすれば船会社は大損こきます。
結局、サントッシュの提言は聞き入れられず、この程度の嵐なら大丈夫、って船はGOサインを出す。
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保険屋さんが聞きたがっているのはまさにこういう話なんです。万全の対策を取っていたのに不可抗力で沈んだのか、or、安全管理になにかしらの手落ちがあったのか。それによって保険会社が船会社に支払う保険金額が大きく変わってくる。
(“保険”は船会社がかけた海難事故の保険であって、個人的な生命保険ではないですよ。念のため)
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けれどパイは黙して語らない。
何故か?
悪天候の予報に関して、父と船側に激しいやりとりがあったことに言及してしまうと、「嵐の当夜、父は熟睡していた」という作り話に、全く説得力が無くなってしまうからです。
パイがなによりも隠さねばならなかったのは、救命ボートに父が乗っていたという事実。(理由は後述)
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【パテル家の漂流】.
“食料が十分あるのに鼠を食べていた”のは、サントッシュです。
『虎の話』でパイが「僕はビスケットでいいけど虎は肉食、魚を捕らなきゃ」と言っていた、その反対を考えてみて下さい。
自分(サントッシュ)は鼠だろうと魚だろうと食って生きていける。でも妻子は草食だから…
サントッシュは、妻子が罪悪感無しに口にすることができる非常食には一切手をつけず、自分は鼠を食べて我慢していたんです。
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脚を折ったのは兄のラヴィ(←消去法)
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『コックの話』では、だまされた、みたいな言い方でしたが、傷口が化膿して壊死が進行して、このままだと確実に死ぬ。切断して壊死をくい止めれば万に一つは助かるかもしれない、という判断は正しいんです。
野戦病院の軍医みたいな苛酷な決断ですけれど、大事な我が子をなんとしても助けたい一心で。
ジータは理系の大卒ですし、息子達も高校で生物学の基礎ぐらいは学んでいるのだから、皆、納得の上で父の判断に従ったはず。
でも残念ながら結果は…
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で、ラヴィは映画の中ではまるっきり影が薄い脇役扱いですが、ジータにとっては初めての赤ちゃんです。それも最愛のダーリンとの間に授かった子供です。
自分が身籠もったと知ったときの気持ち、胎動、出産の苦痛、初めての授乳、etc.
母親としての思い出が走馬燈です。
お通夜ってそういうものでしょう。故人との出会いから今日までを振り返り、亡くなった人が永遠に心の中で生き続けられるようにする作業です。
そのお通夜の最中に、遺体の肉片を餌にして魚釣りされたら、そりゃあ母親としてはブチ切れますよ。
ジータが怖れ気もなくビンタしたのは、もちろん相手が気心の知れた夫だからです。いくら気丈な女性でも、何しでかすかわからない粗野な大男にいきなりビンタは無理っしょ)
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サントッシュにしてみれば悪気はない。長男を助けられなかったからこそ、妻と次男だけは守らねばと必死だった。無神論者だから「死者の魂が傷つく」とかよりも、生きている者の食料調達を優先しただけ。
(けど、食卓のシーンでジータに注意されたように、心を軽視しすぎですよね)
ジータも聡明な女性だから、感情が静まった後はサントッシュの指摘が正しい、水や非常食も無限にあるわけではないと自分に言い聞かせたはず。
で、そのような状況でジータはどう考え、どう行動したか。
我が子を守りたい気持ちはジータも同じ。
能動(肉食)の人:サントッシュが外界から糧(かて)を獲得すべく奮闘するのに対して、ジータは受動(植物)の強さを発揮する。自分を犠牲にしてでも他者を助けようとする利他の力。
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ジータは水を飲まなかったんです。
今あるものを出来るだけ節約して、少しでも多くパイに与えようとした。
洋上は風が強くて汗がどんどん蒸散するので、体感ではそれほど暑さを感じない。まだ大丈夫、まだ我慢できる、それほど喉は渇いていない……… 自分に割り当てられた水や食料を食べたフリ、飲んだフリで1週間。
ベジだから普段は血液サラサラだろうけど、どんどん脱水症状が進んで血液の粘度が増す。
そして熱中症です。絶食してもすぐには飢え死にしないけど、あの環境で水断ちはヤバすぎ。
熱中症の怖いところは、まさか自分が数時間後に死ぬ、などと思いもよらない状況で、突然に死が訪れる点です。
そうとも知らずに、亀を逃がした件で親子喧嘩が始まる。パイは亀がかわいそうで気が引けて、暴れる亀をしっかり捕まえられなかった。で、「亀がかわいそうだなんて言ってる場合か!」って父の鉄拳制裁。
夫がパイを殴るのを見てジータが止めに入る。興奮して急に立ち上がったため一気に血圧があがる。立ち眩み、昏倒、急性の脳梗塞心筋梗塞です。そのまま帰らぬ人に。
あまりにあっけない死に呆然として、「なぜこんなことに…」、やがてジータが別所に取り分けて隠しておいた水や食料が見つかる。
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再三強調してきたように、身分違いを乗り越えて結ばれた熱愛の二人です。それなのにこんな死に別れ方はあんまりだわ。
サントッシュ目線で考えて見てください。
最愛の女性が激怒して、自分を「モンスター!!」と罵倒したのが最後の思い出でだなんて。
妻子を守ろうと必死になりすぎて、「水や食料が底をついたら」と、そのことばかり言い続けた。それがジータを飲まず食わずの死に追いやったのだ、と知ったとき、
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「私のせいだ、私がジータを殺したも同然だ」と、サントッシュが激しく自分を責めたとして、なんの不思議がありましょう。
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これが『コックの話』の真相です。
原型として、「私が殺したも同然」というサントッシュの慟哭があって、それを
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サントッシュ→コック
殺したも同然→殺した
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と変換して、病室で即席でこしらえたのが『野蛮なコックが母さんを殺した』ストーリーです。
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念のため言っとくと、↑こんな直線的なストーリーがボンッといきなり頭に浮かんだわけではありません。
(そんな妄想力があったら作家になれるわw)
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考え方として、
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●サントッシュが嵐の夜に安眠してるわけがない
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●コックの奇妙な行状を(肉食つながりで)サントッシュに置き換えると、ある程度は説明がつく。(鼠喰い、脚切断)
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●だが、サントッシュが愛妻を殺すとは思えない。
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●「殺した←→殺したも同然」暗喩/直喩の言い換え
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●サントッシュが自責の念にかられるようなジータの死…
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と考えを進めていった結果、あの環境では脱水症状が引き起こした突然死、というのが一番蓋然性が高いかなと。
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両親が好対象の一対として描かれている点、観客に暑さを意識させないための画面づくり、冬公開。
映画独自のアン・リー監督の表現・演出意図を汲み取ると、他に考えようが無いのです。
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さらに言えば
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【アイムソーリー】
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この映画には何度も“アイムソーリー”という台詞が登場します。一番印象に残るのは予告編でも使われた、嵐の海での絶叫でしょうが、他にも実にたくさん「え?こんなところにもアイムソーリー?」というくらい、繰り返し登場します。
ヒアリングに自信がなければ英語字幕に切替えてチェックできるのがディスクの強み)
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『虎の話』の動画で、船が沈没後、パイが家族に対して叫ぶ「アイムソーリー」。漂流末期、虎に告げる「アイムソーリー」。
どちらも客観的にはパイが謝る必要はない場面です。
でも、法に照らし合わせて有罪か、責任があるか、という問題と、当人が悔悟の情や自責の念にかられるかは全く別物です。
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二つのフィクションの原型である実際の漂流体験のなかで、サントッシュもきっと妻の遺体に何度も「アイムソーリー」を繰り返したに違いありません。
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それと、あちこちのレビューサイトの投稿や、プロの評論で、「インド訛りの英語」にこだわって、やたらハードル上げたがってるインテリさん達がいらっしゃいますが、インド訛りは、この作品の謎を解く上ではあまり関係ないと思います。
(たぶんインタビューついでのオフレコ・コメントか何かで、アン・リー監督から「英語のセリフによく耳を傾けて聴き取ってほしい」という一言があって、そっから派生した勘違いのように思われ)

字幕・日本語吹替の翻訳担当者は、機械的な逐語訳ではなくて、文脈に沿って意味を汲み取り、文句無しのなめらかな日本語に訳してあります。
ただ、訳が適切であればあるほど、原型が共通の“アイムソーリー”であることに気付きにくくなる。
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「アイムソーリー」という、日本の子供にもお馴染みなフレーズが何度も登場し、文脈に沿って意味が変わる。
そして、「オーマイゴッド」が宗教と無関係な“叫び”になるケースがあるように、「アイムソーリー」も、自分の非を認める意味ばかりではない、
ということが聞き取れればおk ではないかと思います。
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なんとかしたかったのにどうにもできなかった。自分の無力さが許せない。悔やんでも悔やみきれない。そんなときに、謝る必要もないのに、つい「アイムソーリー」と言ってしまう。
そういう心情は万国共通で、自分が悪いわけでもないのに「あいむそーりー」を口にするのは、何も日本人だけじゃないのよね。
(と 天国のアッシュ・リンクスを偲びつつ)
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*ちなみに、作中登場する第1回目の「アイムソーリー」がどの場面だったか覚えてらっしゃいますか? これも作品全体にかかる伏線になっています。詳しくは後述。
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さて、今もう軽く5千字越えてしまっておりますが、■真相■全体の約4分の1ぐらいです。
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明日は【父との漂流】に続きます、
察しの良い方は、パイが“虎のようなヒト”と二人で半年近くの漂流を乗り切ったのだとおわかりでしょうが、
・父子の漂流期が何故【神の話】につながっていくのか。
・そうしたバックストーリー(パイの実際の漂流体験)を踏まえた上で、もう一度作品全体を見直して、はじめて気付くことetc.
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まだまだ続きます。
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