Jw2→ヴィスコンティつながりで『山猫』
【山猫】
とりあえず『山猫』から。
イタリアのサリーナ公爵家が舞台。
サリーナ家の紋章がLeopard(山猫)。
主人公の公爵を演じるのはバート・ランカスター。
いいガタイしてるんですわ これが。
大貴族で 、もう中年だから、配下の者を顎で使って、自分は何もせんで、デブデブでダブンダブンになっててもおかしくないのに、戦国武将みたいな鍛え上げた体。あの時代の貴族(武将)ってどんな風にトレーニングしてたのかな。青年将校の頃なら教練があるだろうけど、誰に言われなくても、剣の稽古が日課になってんのかしら。
時代背景は、幕末~明治維新みたいな“色々あった”時代。
日本でゆうたら、大政奉還とか、廃藩置県とか、内戦、内紛、etc.
それを大貴族の立場からとらえた。
監督のルキノ・ヴィスコンティはミラノの大公爵ヴィスコンティ家の出身で(長男ではないので爵位は継いでい無い)、ルキノ・ヴィスコンティだから描けた本物の貴族文化と言われる。
ぶっちゃけ、ヴィスコンティにとっては、あれが“ぼくんち”というわけだ。
詳しくは、Wikipediaや、著名評論家の著作をご参照あれ。民間でできることは民間で、WikipediaでできることはWikipediaで。
サリーナ公爵家は架空の設定だが、サリーナさんちでは街の人々と連れだって教会へ出かけたりしないのだ。
お城に礼拝所があって、日曜日には専任の神父がやって来る。
そういう“ぼくんち”
さておき。
大きな政治的変動とは別件だが、日曜の夜、公爵は、馬車で神父を街に送りがてら、馴染みの娼婦に会いにゆく。
神父は立場上、「罪深いことはおやめください」と説教をはじめるが、公爵は断固として、妻への不満をぶちまける。
「私は身体頑健な現役の男だ。ベッドに入る前に十字を切り、絶頂のときはマリア様と叫ぶ。そんな女で我慢できるか!
私は!
女房の!
へそを見たこともないんだぞ!!!
それでも我慢して七人も子供をつくった…」
なんかもー、血を吐くような魂の叫びですなあ。
こう言われては神父も返す言葉もなく、
「………お察しいたします…………」
娼館に到着すると、豊満な女性か「ああ、私の公爵様!」熱烈歓迎。
さておき。
サリーナ公爵家では夏の恒例として避暑地の別荘に出かける。政情不安だからと止める者もいたが、泰然自若、世間の騒乱に動じず、公爵家は避暑地へ。
大大名の参勤交代みたいなものかのう。
で、公爵には お気に入りの甥がいる。タンクレディ(アラン・ドロン)
公爵の娘(の1人:長女)コンチェッタは、タンクレディに想いを寄せている。公爵夫人もこの縁組みを早くまとめてほしいと夫にせっつくが公爵は乗り気ではない。
避暑地に到着すると、村長のドン・カロジェロが挨拶に出迎える。
この夏も世話になるけどよろしく頼むよと、公爵は村の主だった者を招いて会食。
その席で村長の娘:アンジェリカとタンクレディが恋に落ちる。 アンジェリカの気を引こうとタンクレディが下ネタをかますと、アンジェリカは大爆笑。
コンチェッタや公爵夫人達は眉をひそめ、んまあ おはしたない みたいな。
『ジュラシック・ワールド2 炎の王国』のクレアの爆笑とリンクしてるのはここです。
このシーンはヴィスコンティ監督の“押し” のシーンのひとつでもあるようで、『山猫』の公開前の予告フィルムにも使われている。
先の公爵夫人のベッドマナーの話と相まって、下ネタに対する上流婦人と平民女性の対比。コンチェッタも へそ見せてくれなさそうだもんな。
公爵がタンクレディとコンチェッタのカップリングに乗り気ではなかったのは、娘が内気で控え目で、才気煥発なタンクレディの伴侶が務まるかどうか、という心配と、野心家のタンクレディが出世するには金がいる、公爵家の財産は子供達で七等分せねばならないから、それではタンクレディに十分な援助ができない、という財の話。
アンジェリカの父親カロジェロは村長(平民)だが大変な資産家である。「村長さんは村一番のお金持ち」とかいうほのぼのしたレベルではない。いわゆる “新興ブルジョア”。
抜け目ない土地取引で、あたり一帯の土地と収穫農産物を一手に治め…云々
公爵がタンクレディの後ろだてとなって縁談を進め、カロジェロは莫大な持参金を申し出る。
で 、二人の縁談はトントン拍子。
ちなみに小学生のころの私は、「英語で貴族のことブルジョアって言うんでしょ?」 という認識だった。どのみち縁がない世界だし。
だが、上には上が際限なくあって、小金持ちは中金持ちをうらやみ、中金持ちは大金持ちを妬み、大金持ちは貴族との越えられない壁に歯噛みする。
そういう世界。
だった。のが。
ベルバラのアンドレの懊悩を思うとまったくイイ時代になったもんじゃ のう婆さんや。
貴族と平民の越えられない壁だつたもんが、越えられちゃうんですよ。
サリーナ公爵の生涯を縦糸に種々の出来事を横糸に、政治的転換期のあれこれが海面の大波小波だとすると、タンクレディとアンジェリカの結婚は満潮干潮のような歴史の大きなうねり。公爵は急に老いを感じ、台頭してきたブルジョアジーのエネルギーを取り入れる必要を痛感する。
あまりにも上品に洗練された貴族の枠の中で繰り返される婚姻に、公爵が苦言を呈する場面も。これもヴィスコンティだから描けた台詞だろうな。平民の映像作家だと貴族を妬んでの誹謗中傷だと取られかねないもの。
貴族とブルジョアジーの婚姻というところが『地獄へ墜ちた勇者ども』とリンクしてるわけですが、ただし順接ではなく逆接。
続く
『山猫』は、直接JW2には関係無いんだけど、『地獄…』を語る上で外せないので、ずいぶん長くなっちゃった。クレアの大爆笑はヴィスコンティつながりを強調するためだろうけど、