ライフ・オブ・パイ専用ザク格納庫

映画ライフオブパイの超長編ネタバレ/その他映画のレビュー/あと気がむいたときに羽生くんを応援

熟成塩漬け原稿


【悪魔の鏡】

アンデルセンの『雪の女王』のプロローグに、悪魔の鏡の話があるのですが、子供向けの絵本では割愛されることが多いので、知らない人もいらっしゃるかもしれません。

雪の女王』は、地上の悪魔たちが退屈しのぎに悪魔の鏡を作るところから始まるんです。
その鏡に写すと、美点が逆転して欠点に写ります。じゃあ欠点は美点に写るのか? というとそうではなくて、ほんのちょっとでも欠点があれば、ものすごく誇張されて写る。
目元のチャームポイントの泣きボクロが、顔全体を覆う醜い痣になって写る的な。
要は、どんな美しい人でも、感じのいい表情の人でも、みんなみんな、醜く不快な人間に写るというヤな鏡です。

悪魔たちは地上のあらゆるものをこの鏡に映して、嘲笑三昧ではしゃいでいましたが、ある日「この鏡で神様を映したらどんな風に見えるだろう?」と思いついて、皆で鏡を担いで天に昇って行きました。
天上界に咲き乱れる花々も醜く汚い枯れ草に映る、麗しい天使たちも爆笑モンの変顔に映る、神のおわす高みまでもうすぐだ、もうすぐだ、悪魔たちはワクテカで昇って行きましたが、次第に鏡がミシミシ軋みだして、あと一歩のところで、神々しい光に耐えかねて、鏡は粉々に砕けて地上に降り注ぎ、悪魔たちは地に落とされました。
んで、砕けても鏡の機能はそのままなので、このカケラが目に入ってしまった人間は、悪魔の鏡を通してものを見ることになってしまう。カケラが心臓にささった人は、悪魔の鏡のように世の中すべてを醜くて価値が無いものだと感ずる。美点はすべて曲解・反転。ものごとの欠点は針小棒大に拡大して認識する。
(神様後始末雑杉)

カイ少年は賢い子でしたが、優しい子でもあったので、幼いゲルダの面倒をよくみて、遊び相手になってあげていました。いつものように二人が庭で遊んでいたとき、カイが「あっ」といって、目と胸を押さえ、ゴミが目に入ったような痛みはすぐおさまったものの、はい、悪魔の鏡のカケラが目と心臓に入ってしまったんですね〜。
それ以来、カイはゲルダをウザがるようになって、いちいち、幼い者の言動をバカにして見下すようになってしまったんです。
そんなとき、雪の女王の橇が通りかかり、「賢そうな少年だこと」と誘われるままにカイは女王についていってしまって、ゲルダはカイを探しに旅にでる。

結構、前振り長いんですよ。

で、いろいろあって、艱難辛苦、ゲルダは女王の宮殿にたどりつくけれども、カイはゲルダに見向きもしない。氷のパズルを解こうと夢中になっている。女王が留守の間に出していった宿題で(知育パズル?)、「パズルを解くことができたら全世界をお前にあげよう」という約束なので。
氷の床にすわって、手足冷えきっているのでゲルダがさすってあげても効果なし。どうしていいかわからず、ゲルダが泣きながら主の祈りを唱えると、涙がカイの目と心臓のカケラを流し去って、カイは正気にもどる。
パズルの氷片がキラキラ踊って、自動で収まるところに収まって、パズルも完成。
んで、二人で故郷へ帰ってハッピーエンド。

アンデルセンは熱心なクリスチャンなので、宗教色が強い勧善懲悪の話が多いです。
私もいい加減すれっからしなんで、無垢な幼女の祈りと涙で呪いが解ける、みたいなハナシはさすがにケツがこそばい感じがするのですが、ええい黙れ! 無垢な力を舐めたらたらあかんのじゃー

悪魔の鏡が、辛辣な批評家達の暗喩であることは言うまでもない。
アンデルセンという人は、真面目すぎて神経質で、見た目もイケてないタイプで、童話で認められる以前は、戯曲や外国の詩の翻訳を書いていたけれど、酷評嘲笑ばかりだったそうなので、色々思うところがあったんでしょう。

まあ…つまりアンチってのは そういう生き物なんですよ。目にも心にもカケラがグサグサ。
反省するとか、誤解を解くとかの機能がはじめから搭載されていないスペック。まっすぐな性格のファンが、誤解を解こうとルールとか説明してあげても、貶したいから貶してるだけなので時間の無駄なんだわな。


この【悪魔の鏡】の項は、実は2014年秋、ファントムの頃に書いたものです。金メダルの快挙にも関わらずネットでの誹謗中傷に呆れてキレて。ソチにわかの私にとっては信じられない書き込みの数々でした。

けど、「なにを言っても無駄!」な相手に字数費やすのが段々虚しくなってきて、しかも上海のあのアクシデントでなにも手に着かなくなり、中断したまま3年塩漬けw

このまま自己ボツでいいかなと思っていましたが、昨日(2018/02/16)のノーミスSPのあとでも、アンチは元気いっぱい平常運転なので、書き足してupすることにしました。




>『私は否定する霊です』
というのは、ゲーテの《ファウスト》で、悪魔メフィストフェレスが自己紹介の時に言うセリフ。

平安時代にも、そういう輩は跳梁跋扈していたのでしょうね。いつの時代にも。















.