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映画ライフオブパイの超長編ネタバレ/その他映画のレビュー/あと気がむいたときに羽生くんを応援

SEIMEIとシルクロードと五芒星 の2

前回 2月17日の記事の続き 太字グレー部分は前回との重複表記



【SEIMEI】

《小説:陰陽師》の作者:夢枕獏さんが、90年代に雑誌「ダカーポ」にエッセイを連載してまして、その中に板東玉三郎さんのお稽古を見学したときのエピソードがありました。
劇の通し稽古の途中、どうしてもすんなりセリフがでてこない箇所があり、思案したあげく、玉三郎さんはセリフの一部をほんの少し変えて解決した、という内容だった?と…

あやふやな記憶では、「しかし」を「だが」に変えたくらいの、意味はほとんど同じような変更。
その ほんのちょっとの差が、気が合う、呼吸が合わないということなのであろうか??? 当時はそんな風に曖昧に把握していました。


羽生結弦選手がSEIMEIの曲の冒頭に、自身の息を吸う音をかぶせているのを知って、道を究めようとする人はジャンルは違えど、呼吸というものに無頓着ではいられないのだなと過去の記憶がよみがえり、確認のため、そのエッセイを単行本で読み返したら、予想外にSEIMEIに関連が深い内容だったので、引用掲載します。

夢枕獏氏が脚本を書いた
《三国伝来玄象たん[さんごくでんらいげんじょうばなし]》

★板東玉三郎さんが主役の沙羅姫
中村勘九郎さんが、相手役の蝉丸
中村橋之助さんが安倍晴明

あらすじ

時の帝 村上天皇が大事にしていた唐渡りの琵琶(玄象)が、ある時、何者かによって盗まれてしまう。盗んだのは沙羅姫。←この時点では、ヒトではなく鬼と化している。

夜な夜な羅城門で玄象を奏でる沙羅姫のところに、陰陽師安倍晴明が玄象奪還にやってくる。
沙羅姫はそもそもは天竺の姫であり、宮中の楽人と恋に落ちたことから、国にいられなくなって、唐の都の長安まではるばる逃げてきた…という背景がある。

上演されたのが1993年なので今から見に行くのは無理である

せめてもの よすがとして、

『三国伝来…』の台本を収録した単行本は

●『絢爛たる鷺』



94〜95年、雑誌ダカーポに連載されてたエッセイをまとめた単行本

●『その日暮らしの手帳』
○『その日暮らしの手帳2
   猫待ち月夜』

新作歌舞伎や玉三郎さんのお稽古に言及しているのは上巻


ちなみに、エッセイ集の方は、タイトル・著者名でアマゾンで検索するとkindle版しか出てきません。
(『絢爛たる鷺』の方は文庫がある)
紙ベースのが読みたい場合は、むにゃむにゃ…

小耳にはさんだハナシでは、5月15日に羽生くんと夢枕獏先生が顔合わせするかもしれないので、古本とか図書館とか滅多なことは言えないのであった。

みなさん、

買って

読みましょう!!

力尽きるほど力説!
ぶっ壊すほどヒート!!



で、くだんのエッセイから引用するよ。

読み返してよかった。うろおぼえの内容とかなり違ってた。



Amazonのレビュー・紹介文などをまとめると、
この少し前(1990年頃)の時期から、夢枕獏先生は、書きたいネタはたくさんあるのになぜか燃えないスランプ状態で、友人の絵師 天野喜孝さんの誘いで板東玉三郎さんの舞台を見に行く。
それがきっかけで新作歌舞伎書き下ろしとなり、公開間近に「是非お稽古を見学させてほしい」→「もちろん、獏さんは原作者ですから…」と玉三郎さんの快諾を得る。

で、ダカーポ連載のエッセイでその模様の描写。

歌舞伎の稽古の日程が

9月26日 約2時間

9月27日 約2時間

9月29日 約3時間

10月01日 初日 
>新作であろうとも、歌舞伎の稽古というのは、
三日間で4回ーー全部でおよそ七時間もやれば、初日をむかえることができてしまうのである。
 だそうな。

で、玉三郎さんは、夢枕獏先生の見学にさきがけて、

>「獏さん。稽古を見に来ても驚かないで下さいね。なんだこれは、こんなんで幕が開くのーーと思うかもしれないけれど、ちゃんと開くんですから」

で、玉三郎さんは言うに及ばず、演出、振り付け、三味線等、担当する方々皆 百戦錬磨で、「そこのところもう少しこんな具合にならない?」「こんな感じですか?」「ここは『(他作品名)』のあの感じで…」と以心伝心、修正・決定がたちどころに決まってゆく、

なんだろうこれ。この感じって、なんかアレに近いものがあるなぁ。歌舞伎なんて全くの門外漢なんだけど、なんか、記憶にある…
というのは私の個人的感想だけど

一流漫画家とチーフアシスタントの以心伝心と被るわ。センセイが細かく指示出ししなくても、ちゃんと通じて、完璧に仕上がっていく感じ。
(プロ漫画家のスタジオにお邪魔したことだってなくて、こっちも門外漢なんだけど)

そんなこんなで、短期間の稽古でもどんどん仕上がってく。


>稽古をしていきながら、修正されていくのは、作曲や振り付けばかりではない。

台本の方も、細かななおしがいくつも入ってくる。
書きかえたり、削ったりと色々な作業があるのだが、そのうちのひとつで印象的であったのは、稽古がある場所にさしかかった折、
「わたし、これだとちょっと出づらいわ」
と、玉三郎さんが言った時である。
琵琶の玄象を、内裏より奪った沙羅姫が、安倍晴明の手によって、その玄象を奪いかえされるシーン。
文楽座の三味線と浄瑠璃が入って、次が、玉三郎さん演ずるところの沙羅姫の台詞である。

〜♪ わが身に残るその怨み、焔[ほむら]となりてわが身を焦がす。苦しや切なや耐えがたや。

 沙羅  もはやこれまで。この玄象、自らが手で打ち砕かん。

この沙羅姫の台詞が出にくいというのである。浄瑠璃の最後の“耐えがたや”が、もう少し別の言葉にならないであろうかということなのだが、どのような演劇上の生理、あるいは板東玉三郎という役者のどのような生理によるのか、はじめ、ぼくにはよくわからなかった。
三味線と、歌の調子を少しかえて、何パターンかやってみたのだが、やはり、うまく出られない。

ぼく自身は、では“あら熱や[あらあつや]”というのをかわりに入れて見てはどうかと考えたのだが、やはり、それもうまくない。

結局、“くちおしや”というところに落ち着いたのだが、それでやっていくと、よい間で玉三郎さんの口から、
「もはやこれまでーーー」
が すんなりとでてくるのである。
こうなって、はじめて、出にくいと言った玉三郎さんの言葉の意味が、ぼくにも理解できたのであった。
つまり、「もはやこれまで」に いたるまでの間に、感情の盛りあがりというのだろうか、情[じょう]の間とでもいうのだろうか、舞台上の呼吸のようなものがあって、その呼吸に、曲のリズムや調子や、言葉のもつ重力がうまくのらないのである。
言葉を、いったんかえてみると、いとも軽々と、そのリズムというか、間に、玉三郎さんの感情、呼吸が重なってゆく。
このあたりは、ぼくにとって、魔法を見るようであった。





引用長くてすまんの いつもいつも

結果は出てる。
“耐えがたや”ではダメで、“くちおしや”なら うまくいった。
二つの言葉の差異、アリ・ナシを考察すればいい。

沙羅姫の玄象への想いを汲み取れば、そもそも耐えるべきことがらだろうか?
玄象は沙羅姫のものであり、引き裂かれる辛さに沙羅姫が耐えなくてはならない道理はない。
その上、“耐え 難し”と不全感のワードが続く。
耐えなくともよいのに、耐えなきゃならんように錯覚してしまう。さらにそれができないと自分を責めてしまう。
“耐えがたや”は、心に二重に蓋をしてしまうような、どこまでも沈み込んで下降の一途をたどる文言だ。

だから、どん底まで堕ちて、沈殿物が発酵して、再び浮上してくるには長い長い間[ま]が必要となる

浄瑠璃の歌詞を受けて、その直後に、沙羅姫のヤケクソの開き直りの決意表明が出ないのは、発酵浮上の間が設けられていないからだと思われる。

仮に自分が、映画や漫画の絵コンテを作成する立場だったとして、
「耐えがたやぁぁぁぁ…」という嘆きの直後に、
「ええい、もはやこれまで」と方向転換の上昇の図は持ってこれない。
(変わり身 早すぎるやろ)

漫画なら最低見開き2ページは要るんじゃないかな。
カットバックでの回想シーン。
陽光のなかで幸せな姫だったころ、恋人とともに楽の音に聞き惚れた日々。国を追われ、天竺から長安へ落ち延び、そして…逃避行のあれやこれや。思い出の玄象を奪いかえしたのも束の間、物凄く強い追手(晴明)によって、玄象は再び我が手から奪われることになるだろう…
そうなって初めて、「もはやこれまで」
むざむざ奪われるくらいなら、自分で壊したるわ。心中やね。

「耐えがたや」を修正せんことにはどうしても長い間がいる。

ならばなぜ「口惜しや」なら「もはやこれまで」に、うまくつながるのか?

つづく