ライフ・オブ・パイ専用ザク格納庫

映画ライフオブパイの超長編ネタバレ/その他映画のレビュー/あと気がむいたときに羽生くんを応援

ライフ・オブ・パイ

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このブログは映画『ライフ・オブ・パイ』の、激ネタバレ レビューです。
映画をまだ観ていない方はご遠慮ください。
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すでに作品を鑑賞済みの方は、
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↓スタート
2013年10月30日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20131030
2013年10月31日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20131031
2013年11月01日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20131101
2014年01月25日→http://d.hatena.ne.jp/chap-chap3/20140125

…以下、カレンダーか記事の一覧から
2014年4月〜 の順にお進みください。.
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安息日
教条主義者にとっては、
「神が6日で世界を創り、7日目に休んだ
天地創造神話)」
ゆえに自分達も倣うのだ、という理由で絶対不可侵の掟。モーゼの十戒にもランクインしている大正義掟。
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これが、イエス・キリストの時代には、すっかり人々を苦しめる掟に成り下がっていた。
やむを得ない事情でも緊急事態でも、とにかく「作業」は一切ダメ。家が火事になっても消火活動禁止。だって安息日だもん。火事で町一つ類焼したら大変だから、安息日には火を焚いてはいけないことにしよう。寒くてもダメ。病人の看病のためでもダメ。
(お産のときとかどうしてたんだろう)
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何のための掟だったのか わけもわからず、掟を破った人をつるし上げして正義派ぶるのが目的のような、無いほうがましな掟。
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それに対して↓
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安息日は人のために作られたのであって、人が安息日のために作られたのではない
[マルコ2章27]

イエス・キリストは実在したんですか? 本当にイエスがそういったんですか? それはいつですか? 何年何月何日何時何分何秒ですか?
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というような、小学生みたいな追求は勘弁な。
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ざっくり、こういう言葉が残されていて、新約聖書に編纂されている以上、昔っから、安息日という掟の意味や有り難みをわかっている人はいて、一方、決まりは決まりだから違反者は厳罰 としか考えられない人もいる。今も昔も同じ。昔の人達だから迷信深かった、という話ではない。
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6日間 生産活動に費やしたら、1日は生産活動と逆行するような思索に費やす。「一文の得にもならないようなこと」に。
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そうでないと、バランスがとれないんだろうと思います。いわゆる、手段が目的になってしまう事態。生きるために働いて稼いでいるのに、何のために生きるのかがわからなくなってしまう的な?
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7日にいっぺんのサイクルが誰にとってもベストか、全員足並みそろえて休む必要があるのかも疑問の余地があるけれども、自分が休んでいるときに周囲がバタバタしてたら落ち着かないものね。
「各自、マイペースで適度に休みを取りましょう」では、社会に根付かない。
だから、神の権威で「掟」に位置づけ、安息日を破ったものは、民から追放され絶たれなければならない、と、厳守厳命したんです。
そこまでしないと、人は休むことの罪悪感から逃れられない。
どんな共同体でも勤労は奨励され、怠け者は非難されるが、ユダヤ民族は、休むことに絶対的な価値を、神の掟に従っているのだというポジティブな意味付けを何千年と伝えてきた。
その独自の掟「安息日」がキリスト教に受け継がれ、欧米を制覇し、キリスト教国ではない日本にも、余波の恩恵をもたらしている。
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1970年代の日本の高度成長期から80年代のバブル期、日本はしょっちゅう欧米から「働きすぎ」と非難されていたが、その非難(の意味)を理解せず、深刻には受け止めなかったようだ。
テストの成績が悪かった奴が、学年トップを「ガリ勉」とけなすように、日本の繁栄に対する負け惜しみだと軽く受け止めていたフシがある。むしろ、褒め言葉だと喜んでいたり。
国際派の文化人が、欧米側からの非難の真意を説明するコラムなども書いていたが、焼け石に水だった。
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ユダヤ教キリスト教の国々を、便宜上、安息日文化圏と呼ばせてもらうが、
1980年代頃までは、安息日文化圏の外で発展を遂げた先進国は日本だけだったんですよ。
(昨今では日本以外のアジアの国々も先進国を名乗っているので、日本だけ などと言うと語弊があるかも知れないが、80年代頃まではそうだったと言っていい)
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だから、欧米がプンスカ働きすぎ!と非難する背景に、安息日を守らない!という意味が込められていたことに無頓着だった。仮に気づいていたとしても、日本はキリスト教国じゃないし〜、政教分離だし〜、白人文化の独善的押しつけはやめてほしいんですけど〜、と歯牙にもかけなかったと思われる。
実際、白人の中にも、安息日の意味をわかってないで、神様ガー の一点張りの人らもおるしな。

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ならば、安息日という掟の意味とは? 安息日の有る無しで、何がどう変わってくるのか?
日本と安息日文化圏を比較すれば一目瞭然。

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安息日という掟の後ろ盾がないため、日本では未だに、「休む」というのは「働かないこと」というネガティブな定義で、「休み」は権利ではなくて上からの恩恵にすぎない。
雇い主やエライ人から「少しくらいなら怠けてもイイよ」と与えられる。ので、休日返上は勤労者の鑑みたいに賞賛される。
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一方、安息日文化圏では、怠け者より、安息日を破った者のほうがよっぽど激しい非難を浴びせられる。そういう文化的土壌を何千年もかけて形成してきたのである。
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現代においてようやく、信仰云々とは無関係に、合理的な空軍や航空会社では、パイロットはフライトミッションの前に必ず一定時間休息を取ることを義務付けられるようになった。
ガンダムでもマチルダさんがアムロに「寝るのもパイロットの仕事のうちですよ」って言ってましたっけね。
(おお、やっとブログタイトルに即したことが言えたw)
マスター・キートンでも、ネゴシエイター(人質解放の交渉人)の、任務としての睡眠・休息の義務が描かれていたし。体力的な面だけでなく、状況に応じた的確な判断を下せるように、頭脳の休息もミッションのうちなんですよ。
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安息日の本質は、この“ミッションとしての休息”
要するに、コミケ合わせの徹夜でふらふらの状態で、「大丈夫っす、自分、ちゃんと仕事できるっす」とかいって、コクピットに向かおうとするパイロットがいたらぶん殴ってでも止めろっつー話なんですよ。絶対やだわ、そんなひこーきのうんてんしゅ。
けど日本には、「ちゃんと休まない奴はぶち殺すぞオラオラオラ!」というような強い掟が無かった。
超過勤務で、高速バスや鉄道で大惨事が起こって、行政が安全基準を掲げて指導してもなかなか改善されない。
行政は「指導しました」と形を整えればそれで責任は果たしたつもりなわけで、民間が指導に従わないのが悪い、というスタンス。
けど、超過勤務を防ぐガイドラインがあっても、民間の零細企業にとっては、そんな“悠長なコト”を言ってたらおマンマの食い上げで、“悠長なコト”をマジメに実践して会社が潰れたら、政治家に努力が足りないなどと言われてしまうのである。

日本以外の先進国=安息日文化圏 では、その“悠長なコト”が何より大事だという意識が浸透している。浸透させるためにこそ数千年前から準備されてきた掟だ。
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休むことは大事な任務。任務を放棄する奴は社会に害をなす大悪人。
安息日という大正義掟があればこそ、超過勤務を防ぐガイドラインや、ベストの体調&思考力を維持するための、睡眠&休息の義務が、厳守すべきルールとして社会に定着する。
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一方、日本では、ヘロヘロのよれよれになるまで頑張らないと、余力を残している=怠け みたいな白眼視。余裕があるなら もっと仕事量増やして、ぶっ倒れるまでこきつかってやろうみたいな。
スポーツ選手が長丁場戦い抜くために、調整(ピーキング)するのさえ手抜きと非難されるありさまだ。
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まあ、理性の制御を欠いた取り乱した状態を「必死」「本気」と美化する風潮は日本だけとは限りませんけど。↓

アガサ・クリスティの『ABC殺人事件』でもあったの、
殺人事件の予告状を受け取ったポワロとヘイスティングスが、大至急 指定の街に駆けつけようとするシーン。
予告状を受け取ったのが夜の10時で、現地に向かう一番早い列車は深夜発(0時頃?)
焦るヘイスティングスが手当たり次第にスーツケースに衣類を突っ込んで、その滅茶苦茶な荷造りをポワロに叱られると、「人の命がかかってるときに服が台無しになるとか かまってられますか!」と口答え。
ポワロは「どう焦っても列車の発車時刻より早くにロンドンを出発することは不可能。服を台無しにしたって殺人を防ぐ役には立たない」と自分できちんと荷造りをやり直す。
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落ち着いた冷静な態度を、「チットモ真剣さが感じられないッ」と腹を立てる人はどこにでもいるからね。そういう人に限って、ヒステリックな取り乱した様子を見せつけて「自分は必死です!真剣です!!」ってヒロイズムに酔いしれるんだわね。まともに物事を考えられない状態に周囲を引きずり込みたいんかね。
キートン太一が睡眠をとるときも非難の目で見た奴がいたっけな。

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洋の東西や肌の色を問わず、これが人間の性[さが]なんですわ。
誰でもスタートはコドモで、子供の頃は分別がなく、理性より感情で動く。熟慮熟考せず、近視眼的視野で、物事の表層しか見ない。
「初歩」は「基礎」だから、基礎の上に大人の分別をいくら積み重ねても、基礎=子供の頃の未熟 は消し去りようがない。理性がグラつく緊急時に限って、その未熟が顔を出す。
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それと、怠惰に溺れることへの畏れ。
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そこを見越して、ユダヤの賢者は安息日という神のルールを設け、神様を絶対的なペースメーカに位置づけたのだと思います。
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焦ってペースを崩して自滅しかねないのは人類共通の欠点なんだけど、あちらさんには神様というペースメーカーがついていて、休め、ペースを落とせ、と、調整のサポートをしてくれる。自分を甘やかしているのでは? という不安無しに、ベストの状態を維持する助けになってくれる。
日本は残念ながら、その文化圏から外れているってことです。
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従来、日本人は世界でも稀にみる勤勉な国民性だと言われてきまして、私もその点は疑念の余地は無いなと誇りに思ってきたのですが、ここへきてホントにそうかな〜? と。
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例えばドイツ人とかもむっちゃ勤勉だと言われてますけど、ドイツの勤勉は安息日込みの勤勉なわけです。
休むべき時に休まず、考えるべきことを考えず、「そんな悠長なコト言ってられるか」とがむしゃらに24時間365日働きまくる日本人の「勤勉さ」は、あちらの人から見ると褒められたもんじゃない姿なのだろうと。
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こういう論を展開するときに、「西洋では」「欧米では」という言い方で日本と比較してしまうと、愛国心から つい反発を覚えてしまうわけですが、自虐思想ではないんです。西洋礼賛、白人崇拝 とかじゃないんですよ。
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安息日文化圏VS圏外 という対比。
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優秀なコーチが、選手のピーキングをサポートしてくれるかどうかの違い。
ポテンシャルは高いのに、ペース配分できずに自滅してたら、だめだなぁって言われちゃう。
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それと、安息日のサイクル=週単位で区切る社会制度のメリット。
安息日をきちんと守るには、週の仕事はその週にやり遂げねばならない。必然的に計画性が求められる。
年単位、上半期下半期の半年単位で仕事の計画を立てると、今日一日の進捗の遅れも年度末までにリカバリーすればいいやってルーズになりがちなんですが、一日分の遅れを取り戻すって、言うほど簡単じゃないのよね(泣)
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さらに、神が絶対的な権威であるがゆえ、あちらでは安息日をちゃんと守れるような社会の仕組みが要求される。
王様とか社長さんとか、権力者がその要求に応えざるを得なくて、結果、週休二日制ですよ奥さん
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日曜日には何も作業はしちゃいけないから、たまった雑用(掃除洗濯とか庭の手入れとか)を日曜日にするわけにいかない。勤め人が土曜日まで拘束されたら安息日が守れない。
ので、雇用主が譲歩して土曜日も休みになるほどの安息日中心の社会構造。
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なんでそーなるかというと、モーゼの十戒で、「安息日を守れ」というだけでなく、「使用人にも安息日を守らせろ」と厳命されているからです。
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旧約聖書の入門編の本や、箇条書きで十戒を引用・解説している著作では、どういうわけか「安息日を守れ」の表記のみで、そのあとに続く、「家族や使用人や家畜にも安息日を守らせろ」という箇所は省略されていることがほとんどである。
どういうわけか。
どっおっいっうっわっけっかっ
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モーゼの十戒】に つづく
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